会員者情報
企業名 | 小城製粉株式会社 |
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所在地 | 川内市隈之城町1892 |
電話 | 0996-22-4161 |
名前 | 代表取締役社長 小城年久 氏 |
インタビュー(貿易ニュース鹿児島2004,8月号掲載)
小城製粉株式会社は小城社長の父、勇一氏(現会長)により昭和41年に設立され、川内市に本社、鹿児島市に営業所を置く。和菓子の原料となる米穀粉業界で九州の一のシェアーを誇る同社は、この業界の中でユニークな存在といわれることが多い。普通は「素材メーカー」から「製品製造メーカー」へと付加価値の高い方へと発展することが多いこの業界にあって、同社は全くその逆をたどってきたからである。
勇一氏は、義父が営んでいた「のせ菓子」で和菓子の修行の後、独立を図るべく昭和22年にめん工場を新設した。食糧事情が悪かった当時は「めん」を作りさえすれば売れていく時代で、経営はすぐに軌道に乗ったが、昭和28年に火災に会い、工場が全焼する。工場再建について義父に助言を求めたところ、「のせ菓子」で使う米殻粉を製造するよう進められた勇一氏は、和菓子の粉作りの修行を一から始め、小城製粉のスタートとなった。その後、製粉業は順調な成長を遂げ、「のせ菓子」は現在「のせ菓楽」と名前を変えて小城製粉の菓子製造部門として吸収されている。
東京の大学の工学部で工業化学を専攻した年久氏は、家業を継ぐ前に食品について専門的に勉強したいと考え、卒業論文のために大学4年の時、農林水産省食品総合研究所に研修生として入所した。同研究所では、鹿児島特産「かるかん」の原料である山芋のフリーズドライの研究に取り組むなど多くのことを学ぶことができた。また、もともと人好き、世話好きであった年久氏は、「のせ菓子」で作った「かるかん」をぶら下げては、食品関係の研究者などを訪問し、「かるかん小僧」というあだ名をいただくほど可愛がってもらった。この当時、知己を得た多くの方々は、今日においても様々な面で年久氏の貴重な財産になっているという。
3年間の研修を終えた年久氏は、昭和48年に小城製粉に入社、専務を経て平成2年に父勇一氏の跡を継ぎ社長に就任。その後、同社は急成長し、昭和60年頃約3億円であった売上高は、現在では15億円を超えるまでになった。その内訳は、製粉が9割、菓子と米の精米小売りが1割で、製粉のウェイトが圧倒的に大きくなっている。一口に製粉といっても様々な製品がある。小城製粉では、和菓子の素材である上用粉、上餅粉、寒梅粉、きな粉、かるかん粉など500アイテムを製造販売しており、原料のうるち米や餅米の一部は政府の売却としてオーストラリア、アメリカ、中国産米を使用している。
これほどの成長を遂げることができた原因について、小城社長は、「価格的にみるとうちの商品は他社のものよりも高いかもしれない。それでも取り引きしてもらうためには、品質の良さに対する信頼と営業マンによるきめ細やかな情報提供が欠かせない。」という。
品質面では、米穀粉の場合、温度が45度以上になると糊化し劣化するため、他社に先駆けて27年前から低温倉庫で保管している。また、ISOの認証を受け、生産から出荷までの全工程について管理の徹底を図っている。見せていただいた工場は、建屋そのものは決して新しくはないものの、近代的な機械が据え付けられ、製粉工場でありながら床には粉ひとつ落ちていなくて、素人目にも徹底した品質管理のほどがうかがえた。
次に、営業マンによるきめ細やかな情報提供である。同社では、菓子製造部門「のせ菓楽」のスタッフが中心となって、毎月6種類の新商品を開発し、自店での売れ筋を分析したり、モニターに試食してもらった結果をまとめ、営業マンは、そのレシピを持って頻繁に納品先の菓子メーカーを訪問して、売れ筋商品の情報提供を行っている。「のせ菓楽」は、同社のアンテナショップとしての機能も担っていることになる。同社は、営業エリアを九州・沖縄に限定しているが、エリアを拡大するとこのようなきめ細かな顧客対応が困難になるからだという。
ユニークな商品に自然結晶塩がある。お菓子の原料に使う良い塩を探していたところ、中国の福建省恵安産で、最初は辛いが、1ヶ月、2ヶ月と時間がたつと甘みが出てくる塩に出会った。この不思議な塩は、普通は塩を好まないアリがこれを持っていくことから、「アリが運ぶ塩」と名付けて6,7年前から販売している。また、新幹線開業を記念「新ふるさと産品コンクール」に同社が出品した「川内がらっぱパイ」と「しおあめ」のパッケージは、デザイナーを目指して東京で修行中の次男の手によるものであるが、入賞した「川内がらっぱパイ」は、川内ゆかりのカッパのキャラクターがお菓子の材料であるちりめんを捕りに行くという、ストーリー性のあるものとなっている。
小城製粉では、数年前から、「トイレ掃除に学ぶ会」を実施している。イエローハットの鍵山相談役の提唱により全国に広がったこの運動に共感した小城社長が社員に呼びかけて始めたもので、年に6回ほど社員総出で川内市内の学校を訪問、トイレをきれいにすることはもとより、トイレを磨くことにより心も磨いている。このことが社員の人間的成長、顧客への奉仕の精神の醸成、生産環境の改善、ひいては会社の発展につながると確信しているという。
最後に、同社のパンフレットの1節を紹介する。「『三代の粉』祖父から父へ、父から子へ、こだわりの80余年。日本の南から、ちょっと一味変わった、素材本意の頑固な粉屋さん。精進を続けてようやく80年。これからも素材にこだわり、おいしさにこだわり、日本の伝統食文化を応援していきます。」