濱田酒造㈱
会員者情報
企業名 | 濱田酒造株式会社 |
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所在地 | 日置郡市来町湊町3030番地 |
電話 | 0996-36-3129 |
名前 | 企画本部本部長 南竹 一弘 氏 |
インタビュー(貿易ニュース鹿児島0000,0月号掲載)
濱田酒造の創業は明治元年。串木野市の西薩工業団地にある本社工場と市来町にある「焼酎蔵薩州伝兵衛」で「現代」と「伝統」を両立させた商品を生産し,焼酎出荷量全国8位,県内2位を誇る。南竹企画部本部長にお話をお伺いした。
工場を2つ造ったのには理由があり,小仕込みでの昔ながらの手作りの良さと,最新設備による均質化・量産のメリット,それぞれ違う面からの焼酎文化の手法の発信をしたかった。2つの工場を対比して,はじめて濱田酒造の姿をわかってもらえると考える。
「焼酎蔵薩州田屋伝兵衛」は,平成13年に完成。元々は学校の講堂だった建物を移築してきたものだ。昔ながらのカメ仕込み,カメ貯蔵の伝統技法での製造を行っている。製造工程の見学コースの他,特蒸焼酎や地元産品の販売を行う伝兵衛市場も開設し,産業観光用のコースだけにとどまらず,地域文化の発祥地にもなりたいと定期的に100~300人規模での蔵ライブコンサートも開催している。今まで地元バンドの他に,桑名正博や杉山清貴といった有名な人にもご出演いただいている。また,敷地内には焼酎はもちろんのこと,本場ドイツの技術で仕上げた地ビール「伝兵衛ビール」や地元産品を楽しめる「伝兵衛酒場」があり,ここではコーヒーやランチも楽しむことができる。
焼酎もワインと同様,テイスティングや,料理に合わせた飲み方などを提案できるようになったが,これも技術革新の賜であろう。
濱田酒造では話題性のある商品を開発している。「斉彬の夢」は濱田酒造の原酒を特製の薩摩切り子に入れて販売するという限定100本の商品で,1本20万円~23万円する。高額な商品だったにも関わらず,既に完売した。
大手商社の三井物産と組んだ1本1万円の焼酎「なゝこ」という商品もある。焼酎ブームでプレミアムがついて値段が高くなる焼酎はあるが,これは最初から希望小売価格を1万円に設定した商品。予約が殺到し,数日間で第1期分5,000本は完売してしまった。更にはサントリーと共同開発した「黒丸」という商品等もある。
市来町には現在6つの焼酎工場がある。昔は焼酎といえば「市来焼酎」と言われるほど,市来の焼酎は有名だった。シラス土壌で原料となる芋や水の質がよかったことと,鹿児島城下から1番目の宿場町だったこと。町の大きさにしては焼酎工場が多いが,それぞれの特徴を生かして,一緒に市来焼酎を伸ばしていきたいと考えている。昨年福岡において「焼酎探検隊」と銘打って募集したところ,40名に対し,900名の応募もあった。また,地元TV局が「女杜氏組」という番組を企画し,原料の仕込みからボトルラベルのデザインまでを行っている。
このように,テレビ局や新聞社からの取材も多く,昨今の関心の高さを実感しているところである。
串木野工場は,平成12年5月に完成。用地面積5,000坪。完全手作りにこだわる伝兵衛工場とは対照的に,最新の機械を使用し,麹造り,仕込み,蒸留まで完全オートメーション化して,極力人間が携わる箇所を無くし,安全,環境への配慮,高品質の均質化等,多くの課題をクリアして年間80,000石を生産する業界屈指の最新焼酎工場である。酒蔵というよりもむしろ,近代的な食品工場群として目に映った。
生産管理課製品管理係の大園栄作リーダーに工場を案内していただいた。
24時間体制で蒸留を全自動制御するシステムを導入したのは焼酎業界では田酒造がはじめてである。伝兵衛工場では100㎏しか処理できない製麹(せいきく)も,自動製麹装置を使えば10tの処理を行うことができる。作業は24時間,管理室のコンピューターで管理・監視されている。昔は杜氏が味の良し悪しを決めると言われていたが,今はコンピューターが管理し,ソフトが会社の持ち味となってきた。しかし,ベースになるのは昔ながらの技術であることに代わりはない。
麹菌には清酒で使用される黄麹菌と濃い酒質になる黒麹菌,マイルドな白麹菌の3種類がある。酵母にも焼酎用,清酒用と様々なものがあり,商品ごとに使い分ける。
濱田酒造で使用する原料は県内産サツマイモだけではなく,発酵に使う米にも国内産を使用するなど,消費者の安心感を高めるために,こだわっている。24時間自動での焼酎造りを目指す串木野工場でも一番大切な芋の
選別は人の手で行っている。
昨年9月に閉鎖された串木野市のテーマパーク「ゴールドバーク串木野」跡地に新工場を準備中である。スピリチュアル・エンターテイメントをコンセプトに,焼酎をいかにお客様に楽しんでもらえるかをテーマにし,伝兵衛工場の「古さ」と本社工場の「新しさ」をミックスさせ,さらに焼酎文化と金山を融合させた施設にしたい。
是非多くの方々に足を運んでいただきたいと考えている。
田苑酒造㈱
会員者情報
企業名 | 田苑酒造株式会社 |
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所在地 | 薩摩川内市樋脇町塔之原11356番地1 |
電話 | 0996-38-2092 |
名前 | 取締役広報流通部長 上山 茂 氏 |
インタビュー(貿易ニュース鹿児島2007,5月号掲載)
薩摩川内市樋脇町に今年1月の大連・香港の海外商談会にご参加いただいた田苑酒造の上山取締役を訪ねた。
社名のとおり、会社は小高い山を背にしたのどかな田園風景の中にある。
田苑酒造と言えば,酒蔵コンサートで有名だ。1992年に始まったこのコンサートも今年4月のコンサートで30回目を迎えた。(コンサートは春と秋の2回開かれる。)
コンサート会場を見せてもらった。焼酎資料館(酒蔵)の中である。ここに330人ほどの来場者を集めて、コンサートが開かれるという。コンサート会場としては決して広くはない。逆に狭いところが思わぬ良さを引き出しているようだ。最前列の人は、独特の雰囲気をもつ古い酒蔵の中で音楽家の細かい動作、息づかいまでを感じることができ、大ホールでは味わえない臨場感と生の音楽に深く感動するという。
田苑コンサートは社員が企画・運営を行ってきた手作りコンサートである。当日は、ホームメイドのお菓子や、ふかしイモ、もろみ酢、焼酎、ソフトドリンクなどが振る舞われる。このようなアットホームな運営・おもてなしが好評で、毎回チケットは前売券の段階で完売し、当日券はないという。
出演者は主に県内の若手アーティストが中心で、彼らにとってもよき発表の場,活躍の場になっている。噂を聞きつけて、東京から山本直純の息子さんなど有名な人が出演したいと連絡してきたこともあったとか。
このような社員総出による地域文化の発掘や若手演奏家の育成といった取組みが評価されて、2005年には芸術文化の振興に貢献した企業に贈られる「メセナアワード 2005 地域文化賞」を受賞した。
さて、本題の焼酎である。
田苑酒造(当時は塚田酒造場)の創業は明治23年。昭和54年に現在の田苑酒造(株)に組織変更している。
主力商品は、主に県外向けの「麦焼酎”田苑”」、県内向けの「芋焼酎”田苑”」である。麦焼酎の中でも、ホワイトオークの樽で寝かせた「田苑金ラベル・田苑ゴールド」は県外で高い人気を得ているという。
今でこそ、貯蔵焼酎は珍しくないが,同社では設立当初から貯蔵焼酎を主力商品として生産してきた。長期貯蔵酒は3年以上貯蔵するため、急な増産が望めないうえに生産・在庫調整も難しい。リスクも伴うが同社ではあえてこの路線を貫いてきた。最近では「貯蔵の田苑」という評価を得て、ここ10年間の売り上げは3倍にまで拡大している。
先のコンサートとも関連するが、この会社を有名にしているものに音楽熟成がある。最初は「酒蔵にBGMを」の若手職員の発案により始めたものだが、発酵が早い、品質も向上していることが判明。今では仕込み中の焼酎にクラシック音楽を聴かせることで醸成を促す「音楽振動熟成システム」を導入し、本格的にクラシック音楽熟成に取り組んでいる。清酒、ワイン造りではこの音楽熟成を導入している企業もあるが、焼酎の分野では初めてである。
田苑酒造の新しい商品にもろみ酢がある。正式名は「さつまいも天然クエン酸飲料 もろみ酢」である。焼酎の製造過程で生まれる焼酎粕はこれまで多くが海洋投棄されていたが、投棄禁止の話がでると、同社ではプロジェクトチームを作って有効利用の道を研究してきた。
いくつかの選択肢の中から飲料として商品化する道を探った。鹿児島大学農学部などの協力を得ながら、試行錯誤を重ねもろみ酢の商品化に成功している。試飲させてもらった。酢特有の鼻をつく酸っぱさもなく、喉ごしもいい。権威のあるモンド・セレクション金賞を始め多くの賞を受賞しているのも頷ける。
田苑酒造では近年、海外との貿易にも力を入れ始めている。これまでシンガポールやタイ、マレーシア、アメリカとの取引実績はあったが、取引額はそれほど多くはない。先般参加した中国商談会は上海や香港との商談がまとまりそうだという。この他にも商談・引合いの話はあるが、海外との貿易は、あまり広げずにじっくりと取り組みたいと考えている。同社の経営理念、「適性規模を維持した上での、健全な企業成長」に沿った考えなのだろう。貿易の分野もじっくり熟成することを期待したい。
坂元醸造㈱
会員者情報
企業名 | 坂元醸造株式会社 |
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所在地 | 鹿児島市上之園町21-15 |
電話 | 099-258-1777 |
名前 | 会長 坂元 昭夫 氏 |
インタビュー(貿易ニュース鹿児島2003,7月号掲載)
坂元醸造株式会社の創業は古く約200年前の1805年(文化2年)のことである。先代までは、姶良郡福山町浦町で天然米酢の製造を続けている。現在の法人組織になったのは、昭和52年のことである。坂元の「くろず」は糖尿病、高血圧、動脈硬化、肥満解消など多くの生活習慣病に効果があるといわれる。今回は、その辺の秘密を明らかにしたいと思う。
[ 本社訪問 ]
会長の坂元昭夫氏は、九州大学医学部に入学するも、医師の道を志さずに薬学の道に進んでいる。卒後大手製薬会社に働くが、家業を継ぐために帰郷。医学部時代培った研究心旺盛な科学者の目と古来健康に良いと言われてきた伝統の天然つぼ酢「くろず」がここでめでたく再会を果たした。
「くろず」の効能を解析するために、同級生だった九州大学の薬品分析学の大倉教授に分析を依頼したところ、通常の10~20倍という豊富なアミノ酸、ポリペプタイド、有機酸等が含まれていることが分かり、驚いたという。黒酢の研究に弾みがついた。九州大学医学部をはじめ、各地の大学や研究機関から研究申し出が相次いだという。その結果、坂元醸造が提供した天然壺作り黒酢には多くの医学的な効果が確認された。
① コレステロールや、中性脂肪などの脂質代謝機能の改善機能、 ② 赤血球変形機能を改善し、血液をさらさらにする機能、 ③ 血糖値を低下させる機能、 などの効果が医学的に判明し、④ 血圧を下げる機能、 ⑤ 肥満を防ぐ機能、 ⑥ 抗アレルギー作用 等の医学的原因解明にも取り組んでいるという。
ところで、最近中国や沖縄産の酢が注目を浴びているが、中国の黒酢は餅米を使い,砂糖を加えている。酸っぱくなく少し苦い。大連などでは、昔日本でも使っていた白酢というアルコール酢が主に使われている。この酢は、中国ではSARSの消毒にも使われたようだ。沖縄の酢は、黒砂糖と泡盛のもろみから作られるが、酸度が低く厳密には酢とはいえないという。
海外取引は、過去には韓国やロサンジェルスとしたことがある。ニューヨークでは20年ほど前に契約寸前までいったが、リスクが大きかったので断念した。
ハワイとは、20~30年間取引が続いている。坂元の「くろず」のおかげで命拾いした地元の人が健康食品会社を設立して、同社の黒酢を扱うようになり、それ以来代理店をお願いしている。会長自身も、ハワイのTVに出演し、黒酢についてPRしたこともある。
台湾には同級生がおり、そこは今も商品を扱ってもらっている。
現在、シンガポールから引き合いが来ている。面白いことに、こっちは知らないのに、韓国やドバイで販売されていたという話を聞いた。
今後は、どこの大手製薬会社も、次は中国で勝負することを考えている。当社もアメリカの次は中国だと考えている。しかし、現状では製品の生産量がおいつかないのではないかという心配もある。
[ 福山工場訪問 ]
坂元醸造福山工場を訪れ、工場長の蔵元忠明氏に、くろずの壺がずらりと並ぶ「壺畑」にご案内いただき、製造の秘訣をお聞きした。
「くろず」は原料の米を太陽の熱で発酵させ、1年かけて液体に変えていく。
江戸時代からの製法をそのまま受け継いで,1年間じっくりねかせたものを製品として出荷している。長いものは3年以上もねかせている。原料となる米は、主に姶良近郊で採れるものを使用している。
発酵の過程は,最初の2~3ヶ月がとても大切で大変手がかかる。仕込みは、まず直径40㎝,高さ63㎝の3斗壺(54㍑)の壺の底に米麹を入れ、次に蒸した米10㎏、そして地下水を入れ、さらに水面を雑菌混入の蓋の役目をする振り麹で薄く覆う。1週間後には糖の発酵が始まり、2~3週間後に酒の発酵がピークを迎え、その後酢の発酵に入る。早いものなら3ヶ月くらいで発酵し、その後じっくり熟成する。
薩摩焼きの細かいひびが「くろず」には一番適しているため、当初は壺は薩摩焼きだけを使っていたが、一時期壺を焼く窯元がなく、同じ形のものを台湾や韓国などでも作ってもらったこともある。使用し続けてきている壺には、壺自体に菌が住んでいる為、新たに菌酵母菌、酢酸菌を使用しなくても立派な「くろず」ができる。
毎年春と秋に1日に300本程度仕込む。この時期に漂う「くろず」の甘い香りが福山町の季節感である。現在壺は3万7千本ある。
壺畑と呼ぶように、農業と一緒で,畑(壺を置く土地)は気を付けて管理している。 福山町は、湧水や地下水など水が豊富で,気候が温暖なので菌が繁殖しやすく「くろず」の発酵に適しており、また山に囲まれているため、台風の風の影響をあまり受けずにすむ。意外に思われるかもしれないが、壺の上にただ乗せてあるだけの蓋が風で飛ぶこともない。怖いのは地震の方であるとか。(今までは無いが。)
ここ福山の『くろず情報館・阿萬屋』では天然つぼ酢「くろず」の独特な造り方の歴史や効果、特徴はもちろん、酢についての情報を見聞できるスペースである。壺畑の見学もできる。また、飲料に適した「りんご黒酢」、卵をくろずで煮込んだ「すっ玉」、くろずキャンディー、くろず飴、くろず昆布などのくろず商品を展示即売もしている。
後学のために、お近くにおいでの際は是非お立ち寄りください。
坂元醸造株式会社
くろず情報館 阿萬屋
姶良郡福山町福山3072-1
TEL:0995-54-7200
URL:http://www.aman-ya.co.jp/
薩摩酒造㈱
会員者情報
企業名 | 薩摩酒造株式会社 |
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所在地 | 枕崎市立神本町26 |
電話 | 0993-72-1231 |
名前 | 取締役商事部長 西 一郎 氏 |
インタビュー(貿易ニュース鹿児島2003,10月号掲載)
今回は,日本国内はもちろん世界でも,芋焼酎といえば「白波」と言われるほどのブランド力を誇る地元焼酎製造メーカー最大手の薩摩酒造株式会社を訪問いたしました。
営業最前線で世界を飛び回っていらっしゃる商事部長の西一郎氏にお話をお伺いしました。
『薩摩酒造では既存の商品に力を入れると共に,新製品の開発にも力を入れています。
「白波」は最も皆さんによく親しまれている焼酎です。麦焼酎の「神の河」も芳醇さ,飲み易さで人気があり,国内はもとより世界中で愛飲されています。最近は黒麹仕込みの「黒白波」の評判が上がっています。焼酎は黒麹を使うと甘みがでると言われており,この黒麹を使って造ったのが「黒白波」です。
薩摩酒造では,焼酎製造にあたって,南薩摩の清らかな地下水と薩摩酒造が苗から準備し,契約農家が丹誠込めて育てた芋のみを使用しています。
焼酎の需要は,国内がだんぜん多く,海外はまだまだですが,販売額の推移で見ると,国内同様,海外での販売も伸びています。
海外への直接輸出はしていませんが,アメリカ,香港,インドネシア,南アフリカ,ヨーロッパ各国など30カ国に販売代理店があり,商社を通じて輸出しています。積み出しは,主に横浜からです。香港へは,志布志港からコンテナで出荷しています。韓国ソウルへも昨年から出荷を始めましたが,有名ホテルや免税店などに置かれているようです。インドネシア政府とはライセンス契約を結び,インドネシアで出回っている焼酎のほとんどは薩摩酒造の製品です。現在のところ,海外向けの芋焼酎,麦焼酎,そば焼酎の生産量は6万㍑ぐらいです。海外での販売は,国によってそのシステムやライセンスの取り方が違うので,手続きにかなり手間暇要します。
「白波」をこれからは中国,特に上海周辺の日本人をターゲットに販売していきたいと考えています。「白波」は香港では,既にかなりの知名度を得ていますが,日本人の皆様が海外で「白波」や「神の河」など薩摩酒造の製品を見かけたときに,ホッとしてもらえるような存在にしたいと思っています。
ところで,焼酎のほかに発泡酒,梅酒などのリキュールの製造免許も持っていて,現在,芋だけで造った「さつま芋ビール(発泡酒)」を製造販売していますが,芋だけで造った芋ビールを製造しているのは,今のところ日本では薩摩酒造だけです。是非多くの人に味わっていただきたいと思っています。』
最後に,500年もの本格焼酎造りの伝統を継承する南薩の地に,焼酎文化を伝え,創造する資料館として生まれた,薩摩酒造の文化資料館「明治蔵」を見学させていただきました。
アテンダントの中原 香さんのお話では,ここの一番の売りは,実際の焼酎造りを見ていただけることだそうです。折しも,今はサツマイモの収穫の時期で,焼酎造りの真っ最中でした。もうすぐ,焼酎のアールヌーボーが出来上がりそうです。左党にはたまらないですね。
明治蔵では,昔ながらの亀壺造りで焼酎を製造しています。100年以上前からの技術が,脈々と受け継がれており,工場内には92個のカメ壺が土中に埋められ,これが壺の温度を管理するのにも,発酵で壺が割れるのを防ぐのにも役立っているそうです。
焼酎は簡単に言うと,蒸した芋をつぶした後,麹菌と水を加えて発酵させたものを,蒸留すると出来上がるのですが,原材料を米にして発酵させたものをしぼると清酒になり,これを蒸留すると泡盛等米焼酎になります。原料を芋にして蒸留すると芋焼酎,ソバにして蒸留するとソバ焼酎ができるという訳です。
ちなみに,蒸した4トンのさつまいもからは,2千本の焼酎ができるそうです。つまり1升瓶一本の焼酎は,さつまいも2㎏から造られるということになります。
ここ明治蔵には,黄金千貫,紫芋,安納芋等品種毎に造った「手づくり焼酎」もあります。皆さんも機会がありましたら,是非ここの明治蔵で「手づくり焼酎」「さつまいもビール」を味わってご覧になったら如何でしょうか。
南海食品㈱
会員者情報
企業名 | 南海食品株式会社 |
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所在地 | 鹿児島市谷山港3丁目4番17号 |
電話 | 099-262-3666 |
名前 | 代表取締役社長 渕本 逸雄 氏 |
インタビュー(貿易ニュース鹿児島2005,10月号掲載)
鹿児島月揚庵(南海食品株式会社)のつけあげは、全国向けとなっている郵政の「ふるさと小包」の人気商品として扱われているほか、コンビニにおいてあるカタログでの販売も行っており、お中元、お歳暮、父の日、敬老の日などのイベントなどでもかなりの需要がある。カタログ通販での売り上げは順調に伸びており、年末やお中元月には注文が集中するため、従業員も夜中まで働いてもらっているとのこと。
南海食品株式会社は昭和38年に海産珍味加工製造業として発足した。創業者は現社長逸雄氏の父、敏太郎氏で串木野に九州唯一のフグ専門加工工場を設立し、下関・広島方面のふぐ加工場や大阪・神戸の中央市場に出荷していた。
珍味を真空パック化する機械を鹿児島で初めて導入したのは南海食品で、日持ちの関係で地元消費しかできなかったさつまあげを真空パックにして県外へも売ってみたのが、後にさつまあげを始めるきっかけとなった。
地元で消費されるさつまあげを、土産物として通用する商品へと高めたのは南海食品の試みがあってのことであると言える。しかし、最初は真空パックにピンホールが空いていたり、シールがきちんと貼られていないため商品が腐り、返品がかさむなど失敗だらけだったという。
フグの漁獲量の減少や安価な海外製品の流入の影響で業務拡大が必要となり、昭和54年に新たに株式会社南海屋を設立し、さつまあげの製造を開始した。
逸雄社長は平成7年に株式会社南海食品の社長に就任。弟の敏朗氏は株式会社南海屋(平成17年4月に株式会社敏太郎に社名変更)をまかされた。南海屋で「月揚庵」の商品を製造し、南海食品が販売を受け持ってきた。
平成10年に三越の日本橋本店にさつまあげの直売店を出す際に、珍味屋のイメージが強い南海食品ではなく、もっとさつまあげ屋らしい名前を付けたらどうかというアドバイスを受け、さつまあげのブランド「月揚庵」という名前を付けた。鹿児島県出身であるタレントの坂上二郎さんのPR効果もあり、若者への知名度も高い。
また、三州クラブや関東県人会にも入って、関東方面の月揚庵のファンを増やしてきた。
同社は、さつまあげでは後発のメーカーであるが、県外の人をターゲットにして味覚を徹底的にリサーチし、お土産やお中元、お歳暮用の商品として、ニーズに合うよう甘さをセーブした商品を開発した。東京などでは甘いものはあまり好まれないが、甘さがないと東京のはんぺんや福岡のてんぷらと同じになってしまう。工夫を重ねた結果、さつまあげの特徴である甘さは残しつつ、県外の方からも支持される商品が生まれた。自社製品に自己満足していては伸びていかない。さつまあげの中に、サツマイモやレンコンなどを入れた商品を作ったのも南海食品が最初であった。
敏太郎(旧南海屋)では、新しい商品の開発だけではなく、安全性に対する徹底した管理も行っており、平成12年には、国際的品質と衛生管理システムSQF2000及びHACCPの認証を同時に取得した。特にSQF2000の工場としての認定は国内第1号とのこと。工場は社長ですら自由に入れないほどきちっと管理されているという。
HACCP対策は、地方ではまだまだ認識が薄いのが現状だが、きちんとやっていかなければ中央との競争には勝てない。また、いずれ海外に商品を出す際にも有利となる。
また南海食品では、お客様の個人情報に対する信頼性を確保するため、プライバシーマークの取得も予定している。
渕本社長は実演販売に目を付けたのも早かった。まず、さつまあげの需要が安定して多い鹿児島空港ビルに実演販売のコーナーを設けた。実演販売の許可を得るため、各種手続きがあり大変だったが、これを行うことによる売上の効果はかなりあったとのこと。現在は空港のほかにも三越、アミュプラザ、桜島サービスエリア、東京の遊楽館などでも実演販売を行っている。
南海食品では、新工場を建設する予定があり、そこには、さつまあげの研究室もつくる予定だ。新工場では、敏太郎がHACCP認証の関係で限られた生産品しかできないので、南海食品において、手作りの商品などの開発にも挑戦していきたい。
さつまあげは知名度は高いが、福岡の明太子や熊本の辛子レンコンなどに比べると、まだ全国に浸透しておらず、金額的にも売り上げが低い。県内でも水や、健康食品等を扱う企業が確実に業績を伸ばしているなか、さつまあげも、いろいろと積極的に打って出ていきたい。一歩上を目指すにはどのように展開していったらよいかを常に考えて、足固めはもちろん、県外の練り製品企業との競争も視野に入れ、新たな製品の開発などを手掛けたいと考えている。
小鹿酒造㈱
会員者情報
企業名 | 小鹿酒造協業組合 |
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所在地 | 肝属郡吾平町上名7312 |
電話 | 0994-58-7171 |
名前 | 代表理事 田中 高逸 氏 |
インタビュー(貿易ニュース鹿児島2003,3月号掲載)
当協会に新規加入いただいた「小鹿酒造協業組合」を訪問した。
同組合は,昭和46年鹿屋市、東串良町、吾平町、佐多町の4社が協業しスタートした。
昭和53年には鹿屋市の2社がこれに加わった。
同社は、芋焼酎の主原料サツマイモの最大の産地大隅半島の中央に位置し、いい焼酎造りには絶対欠かせないミネラル分豊富な良質の水を、千メートル級の山々からなる国見山系が惜しみなく与えてくれる。まさに焼酎造りのためにあるような絶好のロケーションである。
芋焼酎は、イモの銘柄が“大隅産コガネセンガン”でないといけないらしいが、さらに高品質で新鮮なものが常に入手できるようにするために、わざわざ(有)小鹿農業生産組合まで設立したという。たいしたこだわりである。このような努力が実ったのか、創立30周年の平成13年には、ついに年商18億を達成し3万5千石の生産高を誇るまでとなった。
現在の焼酎ブームの中で,大隅半島の焼酎は幻のイメージがあり首都圏ではかなり人気があるが,最近東京の人から、地元の鹿児島で一番売れている銘柄は何かと良く聞かれるそうである。巷に焼酎愛好家が増えて、本当に美味しい焼酎を知りたいという事だろう。これからは地元で愛される焼酎が一番人気ということになるのだろうか。
同社の手がける焼酎は,南九州に住む人々の生活に深く根づいた“地の酒”であり,日々の暮らしにうるおいと活力を与えるとともに,食文化の一端を担っている。先人から受け継いだこの焼酎づくりの技と心を次代に残すことが,大きな責務であると代表理事の田中氏はおっしゃる。
昨今の焼酎ブームで,県外出荷量が対前年比110%と伸びているが、大手酒造メーカーも焼酎販売に乗り出し、国内焼酎メーカーに製造委託したり、外国産焼酎を輸入するという情報もある。
将来的には、同社としても海外生産や輸入を視野に入れ検討していく必要があろうかと思うが、貿易に関しては,今後とも社員を含め,勉強をしていきたいと考えている。
最後に会員の皆様に
お勧め銘柄を一つ 鹿児島焼酎小鹿「5年貯蔵原酒げんもん」
エピソードも一つ 南極越冬隊御用達の焼酎は 小鹿 だそうです。