坂元醸造㈱
会員者情報
企業名 | 坂元醸造株式会社 |
---|---|
所在地 | 鹿児島市上之園町21-15 |
電話 | 099-258-1777 |
名前 | 会長 坂元 昭夫 氏 |
インタビュー(貿易ニュース鹿児島2003,7月号掲載)
坂元醸造株式会社の創業は古く約200年前の1805年(文化2年)のことである。先代までは、姶良郡福山町浦町で天然米酢の製造を続けている。現在の法人組織になったのは、昭和52年のことである。坂元の「くろず」は糖尿病、高血圧、動脈硬化、肥満解消など多くの生活習慣病に効果があるといわれる。今回は、その辺の秘密を明らかにしたいと思う。
[ 本社訪問 ]
会長の坂元昭夫氏は、九州大学医学部に入学するも、医師の道を志さずに薬学の道に進んでいる。卒後大手製薬会社に働くが、家業を継ぐために帰郷。医学部時代培った研究心旺盛な科学者の目と古来健康に良いと言われてきた伝統の天然つぼ酢「くろず」がここでめでたく再会を果たした。
「くろず」の効能を解析するために、同級生だった九州大学の薬品分析学の大倉教授に分析を依頼したところ、通常の10~20倍という豊富なアミノ酸、ポリペプタイド、有機酸等が含まれていることが分かり、驚いたという。黒酢の研究に弾みがついた。九州大学医学部をはじめ、各地の大学や研究機関から研究申し出が相次いだという。その結果、坂元醸造が提供した天然壺作り黒酢には多くの医学的な効果が確認された。
① コレステロールや、中性脂肪などの脂質代謝機能の改善機能、 ② 赤血球変形機能を改善し、血液をさらさらにする機能、 ③ 血糖値を低下させる機能、 などの効果が医学的に判明し、④ 血圧を下げる機能、 ⑤ 肥満を防ぐ機能、 ⑥ 抗アレルギー作用 等の医学的原因解明にも取り組んでいるという。
ところで、最近中国や沖縄産の酢が注目を浴びているが、中国の黒酢は餅米を使い,砂糖を加えている。酸っぱくなく少し苦い。大連などでは、昔日本でも使っていた白酢というアルコール酢が主に使われている。この酢は、中国ではSARSの消毒にも使われたようだ。沖縄の酢は、黒砂糖と泡盛のもろみから作られるが、酸度が低く厳密には酢とはいえないという。
海外取引は、過去には韓国やロサンジェルスとしたことがある。ニューヨークでは20年ほど前に契約寸前までいったが、リスクが大きかったので断念した。
ハワイとは、20~30年間取引が続いている。坂元の「くろず」のおかげで命拾いした地元の人が健康食品会社を設立して、同社の黒酢を扱うようになり、それ以来代理店をお願いしている。会長自身も、ハワイのTVに出演し、黒酢についてPRしたこともある。
台湾には同級生がおり、そこは今も商品を扱ってもらっている。
現在、シンガポールから引き合いが来ている。面白いことに、こっちは知らないのに、韓国やドバイで販売されていたという話を聞いた。
今後は、どこの大手製薬会社も、次は中国で勝負することを考えている。当社もアメリカの次は中国だと考えている。しかし、現状では製品の生産量がおいつかないのではないかという心配もある。
[ 福山工場訪問 ]
坂元醸造福山工場を訪れ、工場長の蔵元忠明氏に、くろずの壺がずらりと並ぶ「壺畑」にご案内いただき、製造の秘訣をお聞きした。
「くろず」は原料の米を太陽の熱で発酵させ、1年かけて液体に変えていく。
江戸時代からの製法をそのまま受け継いで,1年間じっくりねかせたものを製品として出荷している。長いものは3年以上もねかせている。原料となる米は、主に姶良近郊で採れるものを使用している。
発酵の過程は,最初の2~3ヶ月がとても大切で大変手がかかる。仕込みは、まず直径40㎝,高さ63㎝の3斗壺(54㍑)の壺の底に米麹を入れ、次に蒸した米10㎏、そして地下水を入れ、さらに水面を雑菌混入の蓋の役目をする振り麹で薄く覆う。1週間後には糖の発酵が始まり、2~3週間後に酒の発酵がピークを迎え、その後酢の発酵に入る。早いものなら3ヶ月くらいで発酵し、その後じっくり熟成する。
薩摩焼きの細かいひびが「くろず」には一番適しているため、当初は壺は薩摩焼きだけを使っていたが、一時期壺を焼く窯元がなく、同じ形のものを台湾や韓国などでも作ってもらったこともある。使用し続けてきている壺には、壺自体に菌が住んでいる為、新たに菌酵母菌、酢酸菌を使用しなくても立派な「くろず」ができる。
毎年春と秋に1日に300本程度仕込む。この時期に漂う「くろず」の甘い香りが福山町の季節感である。現在壺は3万7千本ある。
壺畑と呼ぶように、農業と一緒で,畑(壺を置く土地)は気を付けて管理している。 福山町は、湧水や地下水など水が豊富で,気候が温暖なので菌が繁殖しやすく「くろず」の発酵に適しており、また山に囲まれているため、台風の風の影響をあまり受けずにすむ。意外に思われるかもしれないが、壺の上にただ乗せてあるだけの蓋が風で飛ぶこともない。怖いのは地震の方であるとか。(今までは無いが。)
ここ福山の『くろず情報館・阿萬屋』では天然つぼ酢「くろず」の独特な造り方の歴史や効果、特徴はもちろん、酢についての情報を見聞できるスペースである。壺畑の見学もできる。また、飲料に適した「りんご黒酢」、卵をくろずで煮込んだ「すっ玉」、くろずキャンディー、くろず飴、くろず昆布などのくろず商品を展示即売もしている。
後学のために、お近くにおいでの際は是非お立ち寄りください。
坂元醸造株式会社
くろず情報館 阿萬屋
姶良郡福山町福山3072-1
TEL:0995-54-7200
URL:http://www.aman-ya.co.jp/
薩摩酒造㈱
会員者情報
企業名 | 薩摩酒造株式会社 |
---|---|
所在地 | 枕崎市立神本町26 |
電話 | 0993-72-1231 |
名前 | 取締役商事部長 西 一郎 氏 |
インタビュー(貿易ニュース鹿児島2003,10月号掲載)
今回は,日本国内はもちろん世界でも,芋焼酎といえば「白波」と言われるほどのブランド力を誇る地元焼酎製造メーカー最大手の薩摩酒造株式会社を訪問いたしました。
営業最前線で世界を飛び回っていらっしゃる商事部長の西一郎氏にお話をお伺いしました。
『薩摩酒造では既存の商品に力を入れると共に,新製品の開発にも力を入れています。
「白波」は最も皆さんによく親しまれている焼酎です。麦焼酎の「神の河」も芳醇さ,飲み易さで人気があり,国内はもとより世界中で愛飲されています。最近は黒麹仕込みの「黒白波」の評判が上がっています。焼酎は黒麹を使うと甘みがでると言われており,この黒麹を使って造ったのが「黒白波」です。
薩摩酒造では,焼酎製造にあたって,南薩摩の清らかな地下水と薩摩酒造が苗から準備し,契約農家が丹誠込めて育てた芋のみを使用しています。
焼酎の需要は,国内がだんぜん多く,海外はまだまだですが,販売額の推移で見ると,国内同様,海外での販売も伸びています。
海外への直接輸出はしていませんが,アメリカ,香港,インドネシア,南アフリカ,ヨーロッパ各国など30カ国に販売代理店があり,商社を通じて輸出しています。積み出しは,主に横浜からです。香港へは,志布志港からコンテナで出荷しています。韓国ソウルへも昨年から出荷を始めましたが,有名ホテルや免税店などに置かれているようです。インドネシア政府とはライセンス契約を結び,インドネシアで出回っている焼酎のほとんどは薩摩酒造の製品です。現在のところ,海外向けの芋焼酎,麦焼酎,そば焼酎の生産量は6万㍑ぐらいです。海外での販売は,国によってそのシステムやライセンスの取り方が違うので,手続きにかなり手間暇要します。
「白波」をこれからは中国,特に上海周辺の日本人をターゲットに販売していきたいと考えています。「白波」は香港では,既にかなりの知名度を得ていますが,日本人の皆様が海外で「白波」や「神の河」など薩摩酒造の製品を見かけたときに,ホッとしてもらえるような存在にしたいと思っています。
ところで,焼酎のほかに発泡酒,梅酒などのリキュールの製造免許も持っていて,現在,芋だけで造った「さつま芋ビール(発泡酒)」を製造販売していますが,芋だけで造った芋ビールを製造しているのは,今のところ日本では薩摩酒造だけです。是非多くの人に味わっていただきたいと思っています。』
最後に,500年もの本格焼酎造りの伝統を継承する南薩の地に,焼酎文化を伝え,創造する資料館として生まれた,薩摩酒造の文化資料館「明治蔵」を見学させていただきました。
アテンダントの中原 香さんのお話では,ここの一番の売りは,実際の焼酎造りを見ていただけることだそうです。折しも,今はサツマイモの収穫の時期で,焼酎造りの真っ最中でした。もうすぐ,焼酎のアールヌーボーが出来上がりそうです。左党にはたまらないですね。
明治蔵では,昔ながらの亀壺造りで焼酎を製造しています。100年以上前からの技術が,脈々と受け継がれており,工場内には92個のカメ壺が土中に埋められ,これが壺の温度を管理するのにも,発酵で壺が割れるのを防ぐのにも役立っているそうです。
焼酎は簡単に言うと,蒸した芋をつぶした後,麹菌と水を加えて発酵させたものを,蒸留すると出来上がるのですが,原材料を米にして発酵させたものをしぼると清酒になり,これを蒸留すると泡盛等米焼酎になります。原料を芋にして蒸留すると芋焼酎,ソバにして蒸留するとソバ焼酎ができるという訳です。
ちなみに,蒸した4トンのさつまいもからは,2千本の焼酎ができるそうです。つまり1升瓶一本の焼酎は,さつまいも2㎏から造られるということになります。
ここ明治蔵には,黄金千貫,紫芋,安納芋等品種毎に造った「手づくり焼酎」もあります。皆さんも機会がありましたら,是非ここの明治蔵で「手づくり焼酎」「さつまいもビール」を味わってご覧になったら如何でしょうか。
南海食品㈱
会員者情報
企業名 | 南海食品株式会社 |
---|---|
所在地 | 鹿児島市谷山港3丁目4番17号 |
電話 | 099-262-3666 |
名前 | 代表取締役社長 渕本 逸雄 氏 |
インタビュー(貿易ニュース鹿児島2005,10月号掲載)
鹿児島月揚庵(南海食品株式会社)のつけあげは、全国向けとなっている郵政の「ふるさと小包」の人気商品として扱われているほか、コンビニにおいてあるカタログでの販売も行っており、お中元、お歳暮、父の日、敬老の日などのイベントなどでもかなりの需要がある。カタログ通販での売り上げは順調に伸びており、年末やお中元月には注文が集中するため、従業員も夜中まで働いてもらっているとのこと。
南海食品株式会社は昭和38年に海産珍味加工製造業として発足した。創業者は現社長逸雄氏の父、敏太郎氏で串木野に九州唯一のフグ専門加工工場を設立し、下関・広島方面のふぐ加工場や大阪・神戸の中央市場に出荷していた。
珍味を真空パック化する機械を鹿児島で初めて導入したのは南海食品で、日持ちの関係で地元消費しかできなかったさつまあげを真空パックにして県外へも売ってみたのが、後にさつまあげを始めるきっかけとなった。
地元で消費されるさつまあげを、土産物として通用する商品へと高めたのは南海食品の試みがあってのことであると言える。しかし、最初は真空パックにピンホールが空いていたり、シールがきちんと貼られていないため商品が腐り、返品がかさむなど失敗だらけだったという。
フグの漁獲量の減少や安価な海外製品の流入の影響で業務拡大が必要となり、昭和54年に新たに株式会社南海屋を設立し、さつまあげの製造を開始した。
逸雄社長は平成7年に株式会社南海食品の社長に就任。弟の敏朗氏は株式会社南海屋(平成17年4月に株式会社敏太郎に社名変更)をまかされた。南海屋で「月揚庵」の商品を製造し、南海食品が販売を受け持ってきた。
平成10年に三越の日本橋本店にさつまあげの直売店を出す際に、珍味屋のイメージが強い南海食品ではなく、もっとさつまあげ屋らしい名前を付けたらどうかというアドバイスを受け、さつまあげのブランド「月揚庵」という名前を付けた。鹿児島県出身であるタレントの坂上二郎さんのPR効果もあり、若者への知名度も高い。
また、三州クラブや関東県人会にも入って、関東方面の月揚庵のファンを増やしてきた。
同社は、さつまあげでは後発のメーカーであるが、県外の人をターゲットにして味覚を徹底的にリサーチし、お土産やお中元、お歳暮用の商品として、ニーズに合うよう甘さをセーブした商品を開発した。東京などでは甘いものはあまり好まれないが、甘さがないと東京のはんぺんや福岡のてんぷらと同じになってしまう。工夫を重ねた結果、さつまあげの特徴である甘さは残しつつ、県外の方からも支持される商品が生まれた。自社製品に自己満足していては伸びていかない。さつまあげの中に、サツマイモやレンコンなどを入れた商品を作ったのも南海食品が最初であった。
敏太郎(旧南海屋)では、新しい商品の開発だけではなく、安全性に対する徹底した管理も行っており、平成12年には、国際的品質と衛生管理システムSQF2000及びHACCPの認証を同時に取得した。特にSQF2000の工場としての認定は国内第1号とのこと。工場は社長ですら自由に入れないほどきちっと管理されているという。
HACCP対策は、地方ではまだまだ認識が薄いのが現状だが、きちんとやっていかなければ中央との競争には勝てない。また、いずれ海外に商品を出す際にも有利となる。
また南海食品では、お客様の個人情報に対する信頼性を確保するため、プライバシーマークの取得も予定している。
渕本社長は実演販売に目を付けたのも早かった。まず、さつまあげの需要が安定して多い鹿児島空港ビルに実演販売のコーナーを設けた。実演販売の許可を得るため、各種手続きがあり大変だったが、これを行うことによる売上の効果はかなりあったとのこと。現在は空港のほかにも三越、アミュプラザ、桜島サービスエリア、東京の遊楽館などでも実演販売を行っている。
南海食品では、新工場を建設する予定があり、そこには、さつまあげの研究室もつくる予定だ。新工場では、敏太郎がHACCP認証の関係で限られた生産品しかできないので、南海食品において、手作りの商品などの開発にも挑戦していきたい。
さつまあげは知名度は高いが、福岡の明太子や熊本の辛子レンコンなどに比べると、まだ全国に浸透しておらず、金額的にも売り上げが低い。県内でも水や、健康食品等を扱う企業が確実に業績を伸ばしているなか、さつまあげも、いろいろと積極的に打って出ていきたい。一歩上を目指すにはどのように展開していったらよいかを常に考えて、足固めはもちろん、県外の練り製品企業との競争も視野に入れ、新たな製品の開発などを手掛けたいと考えている。
小鹿酒造㈱
会員者情報
企業名 | 小鹿酒造協業組合 |
---|---|
所在地 | 肝属郡吾平町上名7312 |
電話 | 0994-58-7171 |
名前 | 代表理事 田中 高逸 氏 |
インタビュー(貿易ニュース鹿児島2003,3月号掲載)
当協会に新規加入いただいた「小鹿酒造協業組合」を訪問した。
同組合は,昭和46年鹿屋市、東串良町、吾平町、佐多町の4社が協業しスタートした。
昭和53年には鹿屋市の2社がこれに加わった。
同社は、芋焼酎の主原料サツマイモの最大の産地大隅半島の中央に位置し、いい焼酎造りには絶対欠かせないミネラル分豊富な良質の水を、千メートル級の山々からなる国見山系が惜しみなく与えてくれる。まさに焼酎造りのためにあるような絶好のロケーションである。
芋焼酎は、イモの銘柄が“大隅産コガネセンガン”でないといけないらしいが、さらに高品質で新鮮なものが常に入手できるようにするために、わざわざ(有)小鹿農業生産組合まで設立したという。たいしたこだわりである。このような努力が実ったのか、創立30周年の平成13年には、ついに年商18億を達成し3万5千石の生産高を誇るまでとなった。
現在の焼酎ブームの中で,大隅半島の焼酎は幻のイメージがあり首都圏ではかなり人気があるが,最近東京の人から、地元の鹿児島で一番売れている銘柄は何かと良く聞かれるそうである。巷に焼酎愛好家が増えて、本当に美味しい焼酎を知りたいという事だろう。これからは地元で愛される焼酎が一番人気ということになるのだろうか。
同社の手がける焼酎は,南九州に住む人々の生活に深く根づいた“地の酒”であり,日々の暮らしにうるおいと活力を与えるとともに,食文化の一端を担っている。先人から受け継いだこの焼酎づくりの技と心を次代に残すことが,大きな責務であると代表理事の田中氏はおっしゃる。
昨今の焼酎ブームで,県外出荷量が対前年比110%と伸びているが、大手酒造メーカーも焼酎販売に乗り出し、国内焼酎メーカーに製造委託したり、外国産焼酎を輸入するという情報もある。
将来的には、同社としても海外生産や輸入を視野に入れ検討していく必要があろうかと思うが、貿易に関しては,今後とも社員を含め,勉強をしていきたいと考えている。
最後に会員の皆様に
お勧め銘柄を一つ 鹿児島焼酎小鹿「5年貯蔵原酒げんもん」
エピソードも一つ 南極越冬隊御用達の焼酎は 小鹿 だそうです。
鹿児島相互信用金庫
会員者情報
企業名 | 鹿児島相互信用金庫外国為替課 |
---|---|
所在地 | 鹿児島市与次郎1丁目6番30号 |
電話 | 099-259-5222 |
名前 | 課長 村田 秀博 氏 |
インタビュー(貿易ニュース鹿児島2003,1月号掲載)
鹿児島相互信用金庫は平成2年より海外トレードミッション、通称「TOBO会」を開催し、昨年の中国ミッションで17回目となりました。総参加者は595名に及んでおります。私はその内の4回を企画催行し、中国を初めタイ・ベトナム・台湾等を訪問しました。
そうしん「TOBO会」の一番の特徴は手造りのミッションであると言う事です。交易会に参加しましても同時に個別商談もアレンジします。その為参加者のご要望に応えるべく事前に現地に赴き、商品を探し回る事も度々あります。一昨年のタイ国ミッションの時は、お客様が「菊の花をタイで栽培し日本に輸出しているはずだ。」と言われ、チェンマイの山奥まで探しに行きました。
別のお客様からは「ウォシュレット(温水洗浄便座)を日本企業がタイで生産しているはずだから探してくれ」との依頼を受け、バンコク市内を探し回り、TOTOの現地法人COTTO(コットー)の工場を見つけ出し、是非商談をしたいと直談判もしました。また中国では大理石発祥の地である雲南省大理市方面に珍しい石はないかと探しに行ったり、湖北省の三峡ダムの近くに松茸を探しに行った事もあります。
この様にして個別商談を組み立てていくのですが、結果うまく行ったり行かなかったり悲喜こもごもで一喜一憂しております。
昨年は広東省広州市と浙江省義鳥市を訪問しました。極端に異なった2つの都市で商品・価格の比較ができ、参加者個々に合う商品を見つけられるのではないかと考えたからです。 広州市では広州交易会に参加したのですが、これは世界的に有名な商談会であり、参加しようと思えば誰でも一人で参加できるものですので、私共のミッションで何回も参加する必要はないのではと感じました。義烏市は小ロットで多品種の商品を買い付けできる事が魅力です。
鹿児島県内のこれから貿易をはじめようとお考えの方々、既に貿易に携わっていらっしゃる方々のビジネスチャンスに結びつけられるような業務をこれからも続けて行きたいと思っております。貿易協会会員の皆様も弊金庫のノウハウも利用して頂ければ幸いです。お気軽にご連絡下さい。
日本有機㈱
会員者情報
企業名 | 日本有機株式会社 |
---|---|
所在地 | 曽於郡末吉町諏訪方4122番地 |
電話 | 0986-76-1091 |
名前 | 代表取締役社長 野口 愛子氏 |
インタビュー(貿易ニュース鹿児島2002,9月号掲載)
日本有機(株)は,大隅郡末吉町に本社を置き、昭和53年3月1日設立され 有機農業資材の製造販売を手掛けて、有機肥料は台湾にも輸出されている。
同社は「土・健康・環境づくりを通して未来へつなぐ安全・安心な食づくりを目指す。」をモットーに成長を続けている。
近年,「薩摩鴨」の全国展開を手掛けており、よく引き締まった厚みのある肉質,鴨肉本来の深い味わい,そして,脂肪のおいしさが,料理の専門家から高い評価を得て高級食材として認知され、有名店からの引き合いも多い。これは、「薩摩鴨」が鴨肉の最も優れた品種を見い出すべく,鹿児島大学で約5年間にわたって研究、選抜,育種を繰り替えして,ついに中国系在来種をベースに誕生した品種であることによる。
ところで、同社の最近の一押し商品は、「くろず納豆(にんにく入り)」で,健康食品ブームに乗ってかなり脚光を浴びているという。これは、黒酢もろみ末,納豆,にんにくのそれぞれの健康要素が相乗効果となって,一粒のカプセルに凝縮された健康食品である。花粉症が解消された,血糖値が下がった等の喜びの声が全国から寄せられているそうだ。
社長は、大消費市場となった上海を初めとする中国の市場に、この商品をひっさげて参入したいと意欲満々である。
(貿易ニュース鹿児島2002.9月号掲載)
斯文堂㈱
会員者情報
企業名 | 斯文堂株式会社 |
---|---|
所在地 | 鹿児島市新屋敷町14-16-2F |
電話 | 099-226-2092 |
名前 | 常務取締役 内野 俊之 氏 |
インタビュー(貿易ニュース鹿児島2006,11月号掲載)
今回は,本誌「貿易ニュース鹿児島」の印刷,製本をお願いしている斯文堂印刷株式会社を訪問し,お話をお伺いした。
斯文堂は,本業の印刷業者として県内では老舗で大手であるが,近年は「TJカゴシマ」といった月刊誌や温泉・旅,グルメ,ファッション雑誌などを幅広く出しているパブリッシャー(出版社)としての顔の方が県民には馴染みが深いかもしれない。
昭和55年に発行されたTJカゴシマは鹿児島で初めてのタウン誌である。県内の旅,温泉,グルメ,イベント,映画・コンサートなどの最新情報を掲載し,特に若者層に支持されてきた雑誌である。県内の主要な書店,コンビニにおかれ現在3万6千部が発刊されている。
さらに「温泉」,「グルメ」,「ブライダル」,「家づくり」,「夏イベント」といったジャンル別に掘り下げたムック本・ガイドブック本も好評である。こちらは,TJカゴシマの別冊版として2~3年毎に再発行され,保存版として重宝がられている。
よりターゲットを絞り込んだこれらムック本は読者とクライアント(広告依頼者)を直接つなぐ仕掛けがいろいろ盛り込まれていることから,宣伝・販促効果が大きいとクライアントに喜ばれているという。
平成12年には,高校生,大学生などのティーンをターゲットにした「ネーム」という月刊誌を発刊している。「ファッション・アパレル」,「音楽」,「アート」などに絞り込んだ内容は流行に敏感な若者の支持を得ている。こちらは月に2万部の発行だ。
しかし現在,タウン誌も厳しい環境にはある。フリー紙(誌)の台頭,インターネット,携帯電話などの急速な普及,県外資本の参入などである。
これらの影響を受けて維持発行部数が落ち込んだ時期もあったが,最近はかなり持ち直し安定さを維持しているという。
地域密着型の役立つ情報,足でかせいだ価値ある情報,充実した内容が堅調な購買につながっているようだ。
もちろん,タウン誌,ムック本だけでなく,印刷,デザインの分野でも高い評価を得ている。今,官公庁の主要なポスター,パンフレット,広報誌等はデザインコンペ・企画コンペで厳しい審査を経て選定されているが,斯文堂はこれら厳しい競争を勝ち抜いてよく受注している。企画力・デザイン力のある証拠だろう。
もちろん官公庁だけではない。企業,クライアントが求める多様なニーズに対して市場調査に基づく戦略的な販促活動,宣伝活動を提案し,クライアントのメッセージを的確に伝えたいと願っている。
環境保護が叫ばれて久しい。特に,紙に対しては世間の関心も高い。
このようなことから環境保護にも積極的に取り組んでいる。官公庁の印刷物はほとんど再生紙であるが,民間企業にも再生紙を使ってもらうよう積極的に働きかけている。 印刷を出力する機械も省資源型で,汚染物質の排出の少ない機器を導入している他, インクも自然素材から作られた大豆油インクを使うなど会社をあげて環境運動に取り組んでいる。
また,リサイクル運動の一環として「TJカゴシマ・ガレージセール」と銘打ったフリーマーケットを20年ほど前から開催している。これらの姿勢が評価されて平成13年には印刷業者として県内では初めて「ISO14001」の認証を取得している。
印刷・製本・情報誌を巡る環境は,AT機器やインターネットの普及などで厳しい環境にはあるが,これまで築いてきた信頼,実績を基に企業のよりよきパートナーとして,また,いいものをじっくり作り読者に最新の価値ある情報を発信できる印刷,出版業者として着実な発展を目指している。
(貿易ニュース鹿児島2006.11月号掲載)
㈱コンテック
会員者情報
企業名 | 株式会社コンテック |
---|---|
所在地 | 鹿児島市紫原6丁目1番18号 |
電話 | 099-206-3939 |
名前 | 代表取締役 堂園 哲也 氏 |
インタビュー(貿易ニュース鹿児島2006,2月号掲載)
コンテナの販売、レンタルを行う株式会社コンテックは、㈱カーネギー産業を中核とするKSSグループの一員として平成11年に設立された。農家の四男に生まれた堂園社長は、自分の才覚と努力次第で道が開ける商売に魅力を感じ、商売を覚えていつか独立したいという夢を持っていた。京都のポンプ製造販売業者に勤めていた18歳の頃、「道は開ける」や「人を動かす」などデール・カーネギーの著書に接し、今までの自分にない世界が広がっていくような感動を覚え、いつか独立したときには「カーネギー」の名を屋号か社名に使いたいと心に決めていた。
夢は昭和51年に社長が23歳の時、カーネギー産業として実現することになる。当初は、離島の建設業者等を相手に土木資材、船舶用品の販売をスタート、その後、鹿児島市場でも営業を展開し、建設工事、土木工事における特殊部門の資材販売、工事請負の分野で業績を伸ばした。現在、堂園社長は、㈱カーネギー産業、アジアテック㈱、㈱コンテック、一本桜温泉センター、和食亭桜処からなるKSSグループの代表を務め、全体の従業員数は160名ほどになる。グループの企業理念は「豊かさ追求」、物心ともに豊かな生活を創意と行動で築き上げようというものある。
自社で市内にコンテナハウスを造ったのをきっかけに、堂園社長はコンテナの多様な可能性に注目、新たに会社コンテックを設立することになった。コンテナの製造は、現在、上海、大連などの中国沿岸部が中心地となっている。手作業が多いので人件費が安いこと、運搬の関係で海が隣接した地域が適しているからである。これまで東京の商社を通じて購入していたが、コスト削減を図るため昨年から直接輸入するようになった。
昨年4月、鹿児島大学を卒業した中国人留学生の金さんを採用したことで、中国の工場
と直接交渉ができるようになったことも大きい。
コンテナには標準コンテナのドライコンテナ(10、12、20、40フィート)と、冷蔵・冷凍用のリーファコンテナ(12、20、40フィート)がある。コンテックは鹿児島市の七ツ島にコンテナヤードを有しており、鹿児島-沖縄・奄美航路をはじめ県内の船会社で使用されるリースコンテナの約7割をカバーしている。船会社自身もコンテナを所有しているが、メンテナンス等の問題から最近はレンタルの需要が増えているという。
貨物輸送用以外にもコンテナの用途は幅広い。自由に温度調節ができるリーファコンテナは、焼酎会社の原料さつまいも、食品会社・デパートの生鮮食品の貯蔵庫などとしても利用されている。ドライコンテナは、トランクルームとして一般的に利用されているが、休息所、切符売り場、簡易店舗などのほか、数本を組み合わせることで事務所や住宅などにも利用可能である。設置、移動が簡単で、施工の費用や日数を大幅に削減することができるのも魅力である。コンテックでは、コンテナの様々な利用方法を開発・提案しており、中国の工場での製造、鹿児島での設置や内外装仕上げなど、用途に応じた柔軟な対応が可能である。
中国で製作したコンテナを運んでくる時には、その中に商品を入れてくることもあり、最近ではコンテナで運ぶ中身にも関心を持つようになった。堂園社長の中では、コンテナを活用した中国と鹿児島の物流の拡大のための新たな構想が膨らみつつある。
(貿易ニュース鹿児島2006.2月号掲載)
㈱CTD
会員者情報
企業名 | 株式会社CTD |
---|---|
所在地 | 鹿児島市鴨池新町5-6-602 |
電話 | 099-253-8355 |
名前 | 代表取締役社長 稲田 嵐 氏 |
インタビュー(貿易ニュース鹿児島2003,4月号掲載)
稲田社長は,今をときめく中国一の大都市上海出身の生粋の中国人である。
彼の興した「大陸貿易開発株式会社」(1995年設立)は、鹿児島でいま最も成長を続けている会社の一つである。
さて、稲田社長は、実は会社を興す前はマッサージ治療院を鹿児島で開院していたらしい。常連客には会社経営者も多く、中国出身であるが故に、中国との貿易について色々相談されることもたびたびだったらしい。中国との取引は大変だ,失敗した,どうしてもふみきれないという話である。
これが彼を転身させるきっかけになった。発展を続ける上海に親類・縁者・友人が多く、中国人の仕事に対する考え方がよく分かっていることから、日本企業との橋渡しにビジネスチャンスを見いだし、会社を設立した。「大陸」という名は、もちろん中国のことである。
会社の主な業務内容は,①中国企業の紹介や中国での委託生産の代行 ②中国への輸出③中国での合弁企業等設立の際の立地条件や合弁相手の紹介,現地のマネージメント等である。
今のところ、収益の柱は,ブライダル専門店や,飲食店等商業店舗の装飾用建築資材の中国からの輸入であるが,付加価値を付けるために東京の関連会社に有名デザイナーを雇い、そのデザインを,CADシステムのある中国の設計事務所で設計させて,さらに中国の工場で生産させている。色々な失敗もあったが,安い製品の輸入だけでは注文は来ない。付加価値をいかに付け、洗練された顧客のニーズにマッチさせるかが大事である。最近の取引先はほとんどが東京や大阪になった。
昨年は全国の銀行からの依頼も多かった。上海,広州,アモイ,泉州等にある現地中国企業視察ツアーを企画し、これを10回以上実施した。このほか,各種のセミナーでの講演も良く依頼される。先日は貿易協会共催の「中国進出セミナー」も講演した。 本社を鹿児島市与次郎に置き,東京支店は東京都台東区に、中国安徽省除州市にグループ関連会社として,最高品質の蜜蜂を生産する「日中合弁安徽蓮花蜂産品有限公司」を,上海には、市場のリサーチからコンサルティングまで行う「上海櫻島貿易有限公司」を設立した。
稲田社長は、月の1/3ずつぐらいをそれぞれ鹿児島、東京・大阪、そして中国で過ごす。健康には人一倍気を使う社長も、大忙しで、趣味のバトミントンやゴルフもあまりできない。
社長にとっては日本、中国どちらも自分を育ててくれた大事な「ふるさと」である。 どちらの国もともに成長していくようにしたいし、又その様にしていくこと自体が会社の信用力も高めてくれると思う。お互いにwin-winでないといけない。
日本人は中国人のメンタリティを考えずに言いたいことを全て言ってしまうため、商談がうまくいかなくなることが度々あるし,日本の技術者も優秀なのは分かるが、中国は中国のやり方で今までやってきたものを、全て変えて日本のやり方をさせようとするので、反発も大きくうまく動かず失敗することもよくある。
両方が納得するためにはそれなりのテクニックも必要であり,バランス調整能力が求められる。
最後に、鹿児島の発展は,若い世代の人たちにいかに海外を見てもらうか,海外ビジネスに興味のある若者をどうやって育てるかにかかっていると思う とのことでした。
(貿易ニュース鹿児島2003.4月号掲載)
南海貿易㈱
会員者情報
企業名 | 南海貿易株式会社 |
---|---|
所在地 | 鹿児島市山之口町1-7 |
電話 | 099-223-5000 |
名前 | 代表取締役 内田信光 氏 |
インタビュー(貿易ニュース鹿児島2004,8月号掲載)
南海貿易株式会社は、内田社長の父陳喜官氏により昭和30年に設立された。内田社長は父の後を継ぎ,平成8年に社長に就任した。
同社の事業は商社事業と情報事業の二つに分けらる。商社事業は、中国産の飼料、肥料、産業資材、石材の輸入、卸、中国製家具、美術工芸品、中国産海産物、干果物、ウーロン茶等の荷受代行、輸入委託、アクセサリー・クラフト・雑貨類の輸入、卸小売販売などで、情報事業は、中国産商品の発掘、開発業務、中国における合弁会社の設立運営などとなっている。このほか関連会社として、室内インテリアや店舗改装、石材販売などを行う(有)福光産業と、テナント業を行う(有)福楽園(かつての中華料理店「福楽園」)があり,新しい事業展開を考えている。
福建省の省都福州市の出身である陳喜官氏は、当時鹿児島にいた兄を頼って昭和7年に17歳で来鹿したが、戦争が激化する中で、昭和19年に帰国を余儀なくされた。戦後の昭和21年に再来鹿し、中華料理店「福楽園」を経営しながら、徐々に中国との貿易にも手を広げるようになり、南海貿易株式会社を設立した。陳氏は、昭和27年に九州の華僑会の初代会長に選出されたほか、福建省出身の在日華僑総会の第1回目を鹿児島で開催するなど、優れたリーダーシップと行動力の持ち主であった。
戦後長い間国交がなかった日中間では、1950年代になって友好商社を通じた「友好貿易」が実施されていたが、中国国内の混乱や日本政府の政策などにより、両国の経済交流は一時断絶状態となった。1962年にようやく準政府間協定である「日中覚書貿易協定」が廖承志(華僑事務委員会主任)と高碕達之助(元通産相)の間で調印された。この協定は両国代表の名字の頭文字をとって「LT貿易協定」といわれ、両国はそれぞれ相手国に連絡事務所を設け、経済交流の強化が図られることになった。
このような状況の中、南海貿易は、華僑商社として八幡製鉄(現新日鉄)の鉄鋼製品の輸出などに参加することができた。また、1957年(昭和32年)から毎年春と秋に開催され、今春で94回を数える広州交易会には、毎回参加してきた。これらは、同社の発展のための基礎となったが、国交回復前の日中貿易には様々な制約があったため、実質的に中国との唯一の窓口としての機能を担っていた香港に、昭和40年に事務所を設置した。同事務所は、その後の同社の貿易発展に大きな役割を果たすことになった。また、この年から毎年、全国の大手デパートなどで「大中国商品展」を開催し、中国製品や文化などの日本への紹介にも力を注いできた。
1990年代に入り、改革開放政策による上海など沿岸各都市の急速な経済発展や香港返還など、中国をめぐる情勢が大きく変化する中で、内田社長は海外事務所の再編強化を進めてきた。まず、中国貿易の窓口機能を担ってきた香港事務所を平成6年に閉鎖、これに代わって福州市(平成9年)、広州市(平成11年)、大連市(平成12年)に事務所を開設していった。現在、南海貿易が取り扱う品目は、年間を通して500~600にも上るが、大連事務所は、中国北部の拠点として飼料、肥料、鉄鋼製品など、福州事務所は、中部の拠点として農作物、食品、建築資材、肥料袋や資料袋などの包装資材など、広州事務所は、南部の拠点として家具、工業製品、IT製品、衣料、雑貨などと、それぞれの地域の特性やバランスを考慮した事務所配置となっている。
言葉、価値観、文化の異なる中国で事業を展開するに当たっては、何にも増して信頼できるパートナーを確保することが大事であるという。かつて同社では、石材で有名な江西省の南昌に合弁会社を設立して、みかげ石や敷石などの石材等を半製品化し、日本に輸入していたが、パートナーによる資機材の無断流用などにより生産性が上がらず、やむなく撤退せざるを得なかった。この反省から、現在の3事務所のスタッフは、全員中国人であるが、福建省出身で日本への留学や勤務経験がある内田社長夫人の親戚や留学時代の友人など信頼できる人材を採用している。
内田社長は、中国貿易を通じて培った経験や人脈、さらには3事務所の機能を生かし、中国との取引や投資を行おうとする鹿児島の企業に対し、貿易業務は勿論のこと、市場調査や信用調査、地方政府との諸手続きなど様々な面でお手伝いをしたいと考えている。一例として、大連事務所では、日中合弁で設立されたネジ製造会社の製品や原材料の輸出入手続きの全てを代行しているが、このような方法は、貿易実務の経験者を確保することが困難な中小企業にとって、特に効果的であるという。
9年前に亡くなられた父親の陳氏は、地元福建省では、日本で事業に成功した華僑の一人として、さらには、在日華僑代表7名のひとりとして周恩来首相の日中国交回復諮問委員に選出されるなど日中国交回復への貢献者として広く知られている。また、鹿児島市と長沙市の友好都市の締結に向けても貢献した。陳氏は、福建省に救急車を寄贈するなど故郷への想いも人一倍強かった。内田社長は福建省を訪問するたびに、寄贈された救急車のお陰で何人もの人の命が救われたという話を聞かされ、熱い思いが込み上げてくるという。
南海貿易は来年創立50周年を迎える。内田社長は、今後の新たな事業展開として、中国でのビジネスホテル事業への参入を考えている。既に鹿児島市や瀋陽市で大手ビジネスホテルチェーンとタイアップした事業を経験済みで、一定のノウハウの蓄積ができたことから、中国沿岸各都市の発展をにらみながら、ホテル事業経営への参加、中国で調達した家具やアメニティー製品のホテルへの供給などを進めようとしている。日中間の貿易に加え、急速な変化を続けている中国国内で完結する形のビジネスにも取り組み始めている。
(貿易ニュース鹿児島2004.8月号掲載)