上海より
上海より
(財)日中経済協会上海事務所 所長 﨑岡 洋右
公共交通カードに見る施行体制の問題
東京ではJRがスイカ(カード)で利用客が電車に乗れる。しかしこのカードはJRでしか使えない(現在他の交通機関でも一部使用できるようだ)。ところが上海では鉄道(地下鉄も含む)、バス、タクシー、船に共通して使用できるスイカのようなカードがある。中国語では「公共交通」と言うが、その前に上海の地名を付けて「公共交通」としている。このカードを持っていると日常どの交通手段にも使用できて大変便利である。カードに入れた金額がなくなると、地下鉄等の駅のキップ売り場でいつでも希望する金額を入れれば一枚のカードで継続使用が可能である。JRのスイカがまだ一部の交通手段にしか使用できないが、上海ではすでに述べたように鉄道、地下鉄、バス、タクシー、船と上海市のすべての交通手段に利用できるのである。この差はなぜだろうか。技術的な差であろうか。いやそうではない。技術的な面では、この程度のものでも日本の方がよほど上である。そう考えるとその原因はカード利用実施を施行する体制の問題ではないかと考える。
中国は良くも悪くも一党独裁の国家であり、政府の決定は異義が挟めない。上海の市政府でも同じだ。上海市の決定事項は例え、いくばくかの反対があっても即座に実施されるのである。日本の場合は国及び地方行政でも国や行政体の意志が実施に移されるまでのプロセスは難航する例が多い。更に企業や団体の利益及び組織が多様化すればするほど、一つの事で多くの関係先があればあるほど、決定しにくい状況となる。民主主義を維持することは時間も金もかかる厄介さを我慢しなければならないことを痛感する。
国の発展の原動力は国の体制が時には有利になることも
今上海の発展はテレビやニュースメディアに連日紹介されている通り、目を見張るものがある。上海の発展の大きな原動力は各国の投資等による資本の導入によって支えられていることはもちろんのことであるが、発展計画を実施に移す市政府なり、中央政府の強力な指導を見逃すことはできない。日本における東京等大都市を含む全国の都市改善計画がいっこうに進まなかったり空港の滑走路建設に多くの年月をかけている例を見るにつけても民主主義を守ることの高コストという面を考えざるを得ない。だから社会主義がいいと言っているわけでは決してないが、上海の日々発展の早さと都市整備の早さを見ると、日本の現状と比較し、少々のあせりを感じるしだいである。
上海ではしばらく見ない所が、ある日行くと突然なくなり、新しい建物が出来たり、公園や道路に早変りする光景は日常茶飯事である。みるみる都市計画は推行していくのである。都市計画ばかりではなく、経済発展に必要な多くの分野の事柄がどんどん進められいく様を見ると時には一党独裁もすてたものではないという考えがする。この分でいくと日本が発展にかけた時間の三分の一の時間で上海の発展は達成されるのではないかと思われる。最近の住宅建設、オフィスビル、道路の拡充等の光景を見せられると、その感を強くする。
2010年後は大丈夫か
上海は今2010年の万博開催をめざして都市整備を含めて改善の努力に余念がない。おそらく更らなる発展を我々はこれからも見にすることにだろう。しかしながら、日本の例を考えると、発展過程では応々にして、それにのみ主力が注がれて、影の問題点に目がとどかないものだ。日本のバブル崩壊後の惨状を見るにつけ、また上海の今の発展の促進力の強さを考えると、その力が強ければ強いほど、後々に生じるであろう問題の大きさを心配したくなる。上海の経済は前述のごとく基本的には外資導入に支えられての発展である要素が強い。今後の世界経済の動向も上海の発展に大きく影響することを考えると、2010年後もこのままの発展が可能かどうか疑問のあるところである。一部の上海人はこの点を理解しているものの、多くの上海人及び外国人は上海の発展を享受し、楽観している向きもあるようだが、上海を愛する者としては何か心配の今日この頃である。
(財)日中経済協会上海事務所連絡先:
中華人民共和国上海市延安西路2201号 上海国際貿易中心大厦2001号
電話:86-21-62701647 FAX:86-21-62752211
(筆者は1994年7月~1997年7月までジェトロ鹿児島貿易情報センター所長として勤務)
その6
当協会の理事で,弓場貿易株式会社社長の弓場秋信氏による,すぐに役立つワンポイント貿易アドバイス!
その6
鹿児島が全国に誇れるもの、或いはその分野で全国1位の物は何があるか。調査の結果孟宗竹の竹林面積もそれに該当することがわかり、輸出すべく韓国のバイヤー探しを始めた。なぜ韓国かと言えば、過去の貿易統計を調べたところ韓国で実績が出ていたからである。そこで韓国のダイレクトリーで、竹を扱っている業者をピックアップして手紙での売り込みを行い、バイヤーを見つけることが出来た。それから何年も取り引きを行なっていたある時、取り消し不能のL/Cを受け取っていたにも拘らず韓国のバイヤーより孟宗竹の輸入が禁止されたとの連絡を受けた。理由は植物検疫上の問題との事。輸出すべく孟宗竹を北薩地区で切り出し鹿児島港の置き場に6000本を既に用意した後であった。植物防疫上の事であればバイヤーも成す術がなく、またバイヤーに損害賠償を要求する事も出来ず、仕入れ価格の半値での再販となった。
貿易は自由化に向かって非関税障壁の緩和・輸入関税率の切り下げが行なわれ、障害は少しづつ取り除かれている。しかしながら世界が狭く自由になったことで、様々な病原菌も国境を越えて容易に入り込めるようになった。また食品に含まれる添加物も多種なってきた。それらに対して各国も貿易管理を強化してきた。特に植物防疫・動物防疫の分野における規制が厳しくなった。最近の例で言えば、BSE(狂牛病)発生による影響で輸出入時に様々な書類や証明書が要求されたり、或いは商品によっては輸出入の禁止に発展している。中には日本の世界での評価がこれほどまで下がったかと、愕然とする事がある。以前であれば輸出時に、このような問題が発生しても決して要求されなかったであろうと思われるような証明書を要求されている。それも日本における証明書の発給元がはっきりして、書式が整っていれば対応出来るが、手探りで自前の書式を作成し、証明してもらえる行政機関先を探す有様である。
輸出入を行なうとき、まずは関税は何%か、特恵関税はどうかをチェックして原価計算をするが、植物防疫法・動物防疫法・食品衛生法などの貿易管理令は、その時々の社会の動き、或いはその政府の政策によっても改正されるので、税関や通関業者にその品目について、事前の問い合わせが大切である。関税のチェックを忘れて、輸入通関時に関税を支払う事になってもお金で解決できるが、法令で規制された商品は廃棄或いは積戻しとなるので十分な注意が必要である。
(貿易ニュース鹿児島2002.2月号掲載)
その5
当協会の理事で,弓場貿易株式会社社長の弓場秋信氏による,すぐに役立つワンポイント貿易アドバイス!
その5
鹿児島県貿易協会主催の「ベトナム貿易商談会」が今年も実施され参加した。鹿児島県では日本の南の玄関口(拠点づくり)を目指し海外との交易を盛んにすべく1982年香港での貿易商談会を皮切りに、毎年実施し既に8カ国・地域で20回を数える。
1982年は、私が貿易を創業して1年が経過していた時期であった。未だ弓場貿易と名乗ってはいるものの、貿易の実績も数えるほどでとても生活出来る状態では無く過去の蓄えで食い繋いでいた。そんな折商談会開催の案内を受け取り、多くの県下の企業と一緒に参加した。以来入院中の為に参加できなかった1回を除きその全てに参加した経験から商談会のメリット及び活用について以下に述べたい。
1.貿易に興味を持ち、これから始めようとする人にとって最初の取っ掛かりとしての参加。自分で新規の供給先や売り込み先を探すとなると、どの様にすれば好いか、又は方法は判っても相手とのコンタクトそして返事を待っての次の行動など、時間と経費が費やされる。それらが商談会参加により全て一瞬の内に可能である。それは事前に商談品目を参加申し込みと一緒に提出すれば、県より現地公的機関にその内容が 伝わり関連の企業が商談会に出席するからである。もちろん現在貿易を行っている企 業にとっても有効な手段である。私が19回も参加しているのもそれが理由である。
2.鹿児島から参加の企業の人と知り合いになれる。参加企業は製造業から卸・小売 及びサービス業まで多岐に亘り、取り扱い品目及びサービスは多種で、お互いが持つ情報・知識も豊富、まさに異業種交流である。約1週間行動を共にする事でお互いの人間関係が深まりネットワークが広がる。
3.鹿児島県が主催するので、相手国の信用度が高くそれなりの企業が商談に見えると同時に、鹿児島の参加企業に対するイメージアップに繋がる。
4.メリットの多い商談会ではあるがそのチャンスを生かす為にはそれなりの準備が必要である。現地での1時間ぐらいの商談中での成約は不可能に近いので、効率良く商談を進めるために、会社案内(パンフレット、ホームページなど)の準備、商談品目の事前市場調査、商談希望企業の情報を入手しての事前コンタクトが重要である。
多くの企業が商談会に参加して果実を持って帰国します。貴社も2003年参加しませんか。
(貿易ニュース鹿児島2002.1月号掲載)
その4
当協会の理事で,弓場貿易株式会社社長の弓場秋信氏による,すぐに役立つワンポイント貿易アドバイス!
その4
貿易を創業したころ名刺を出すと「千に3つ」ですねと言われた。それは何ですかと尋ねると、貿易と不動産は、引き合いは沢山あるが実際それが成約と成ると「千に3つ」とのこと。この業界に入って間もない私はその事を体感するまでには至っていなかったが、その内にその言葉の重みを実感するようになった。
鹿児島から洋食器を含む焼き物を輸出しようと各国のダイレクトリーやJETRO、各種貿易機関、銀行等が発行する月刊貿易引き合い情報を取り寄せ、洋食器や焼き物を輸入したい企業を見つけ手紙を出し、胸をときめかせながら返事が来るのを待った。暫くして発送先の約10%から来た返事の殆どは、提案した商品に興味がない旨の内容であったが、一通だけ洋食器を買いたいからすぐに見本が欲しいとの事。早速メーカーから見本を購入して数万円を払って航空便で送った。いつ注文が来るかと待っていたが、何の返事もない。ある時JETROの通商弘報に、アフリカにはサンプルコレクターがいるので注意しなさいとの記事が出ていた。
貿易の相手先は世界中至る所に存在し、国内商売と比較すると無限の可能性を持っているように感じる。また自分から連絡しなくても世界各国から売りや買いの手紙、FAX、インターネットが届く。全ての引き合いに可能性を予感し、調査・販促活動を行っていると、時間と経費を使い事業の成功がおぼつかないことを実感する。まさに「千に3つ」の世界である。
成功の確率を高める為には、様々な引き合いやアイデアの成約可能性・確率を判断する目利きを養うことが求められる。それには文面の顔、内容、世界の政治経済の動き、地域のニーズ等に対する感性を高め、引き合いに対して行動を起こす前の事前の選別が大切である。
(貿易ニュース鹿児島2002.12月号掲載)
その3~品質~
当協会の理事で,弓場貿易株式会社社長の弓場秋信氏による,すぐに役立つワンポイント貿易アドバイス!
その3~品質~
輸入貿易を直接行ないたいと思いつつも躊躇する主な要因は、一回の購入量の多さ・品質への不安、そして金融です。そこで今回は品質について述べたいと思います。
もしも事前に取り寄せた見本と輸入現品が同一であるならば、多くの人が貿易を手がけると思います。しかし実際には、現品の品質が見本と違い損失を被る事が多々あります。国内取引においても程度の差はあれ同様の問題が起こる事があるが、代金の支払いが品質をチェックした後であるために、買い手が損をする事は希有です。
それでは実質前払いで、クレーム処理が思うようにいかない貿易で、見本と同一の商品を入手し初期の利益を得るためには、どのような事に注意し何をチェックすべきかを以下に述べます。
1.取引先のビジネスの姿勢及び実績を見る。
欲しい商品が有りそうな国から取引先数社をピックアップしたら、通信手段を使ってアプローチしその返事を待つ。そして返事が早く、質問に対して的確に対応し、過去日本と取引実績の有る会社を選択する。
2.原料や製造工程のチェック。
見本の品質が良くても、原料の品質にバラツキがある場合、また製造工程に不備があれば均一な商品はできない。製造現場に出かけていけない場合は、原料の品質基準と詳細な製造工程を入手してチェックする。
3.商品の仕様を正確に文字で表示する。
輸入者が必要とする商品の仕様を文字や数値で表示し誤解の無いようにする。また逆見本を送るなりして理解度を上げる。
4.節度有る価格交渉。
商品の日本における市場について説明し、相手にベストプライスの提示を求め、その価格が受け入れられる数値であれば、それ以上の値引きを求めない。無理な値引きは原料の品質低下や製造工程の簡略化に繋がる。
(貿易ニュース鹿児島2002.11月号掲載)
その2~CIF(保険料・運賃込み)~
当協会の理事で,弓場貿易株式会社社長の弓場秋信氏による,すぐに役立つワンポイント貿易アドバイス!
その2~CIF(保険料・運賃込み)~
保険の必要性は理解しながらも少しでも経費を削減したいとの思いとの戦いです。
あるとき船会社より電話で「御社の貨物も積んでいる台湾からの船が、荷崩れを起こし傾いてきたので、危険を回避するために一部のコンテナを海上投棄し、そのコンテナ貨物の損害分は、船内に残った荷主で負担してもらいます。もちろん共同海損として保険が適用されます」との連絡がありました。私は、近い国でありまた通常貨物であったために海上保険を掛けていませんでした。結果として保険料相当額の十数倍を払う事となりました。
インドネシアより冷凍かつおを専用船で輸入した時には、鹿児島で荷揚げしてみると通常一本一本が離れるのに、魚同士が結合し傷んでいる魚もある。保険会社に保険の請求をすると、品質上のことで事故ではないので払えないとの事。そこで現地に積み込み時の状況・魚体温度を聞くと問題が無い。それでは航海上に発電機等のトラブルによる冷凍庫の温度上昇が原因ではと考え、船会社に冷凍庫内の温度記録の提出を求めると、それは出来ないと言っていたが、最終的に事故の発生を認め保険を受け取る事が出来ました。
偶発的事故の発生による損害から守るための保険料は、コスト計算の中に必ず含める習慣を付けるようにしましょう。
(貿易ニュース鹿児島2002.10月号掲載)
その1~建値の決め方~
当協会の理事で,弓場貿易株式会社社長の弓場秋信氏による,すぐに役立つワンポイント貿易アドバイス!
その1~建値の決め方~
まず輸入するに当り必要な商材を探し価格交渉に入りますが、貿易の建値はFOB(輸出港本船積込渡し値段)、C&F(運賃込み値段)、CIF(運賃保険料込み値段)が一般的に使われます。ではどの建値が最も有利か、それを見出すためにどのような作業が必要かを述べます。但しCIFについては次回に譲ります。
輸出者からの見積りはFOBとC&Fの両建値で貰いその差額を計算します。その額が先方の支払い海上運賃です。そこで日本サイドで船舶代理店を通じて海上運賃の見積りを依頼します。そして日本での運賃が安い場合はFOBを、その逆はC&Fを選択します。私の過去の経験では、開発途上国からの輸入はC&Fが安く、中進国や先進国からの輸入は、輸入者や通関を依頼する先の代理店の実績で、安い運賃が得られFOBを選択する事があります。
コスト低減が求められる今、例え1万円でも知恵を絞ってコストを下げる努力をすべきであろうと思います。
(貿易ニュース鹿児島2002.9月号掲載)
中国,都市住民の生活は今
中国,都市住民の生活は今
(財)日中経済協会上海事務所 所長 﨑岡 洋右
マイカーとマイホームはステータスシンボルと受け取られた時期が日本にもあった。
最近中国でもマイカー,マイホームに関心が高まっている。とは言っても中国全土いたる所とは言いがたく,あくまでも北京,上海を中心とした所得の高い地域に限られると思うのだが近頃新聞紙上で時々この種の記事を見られる。ここでは中国人の所得についてのいくつかの社会現象を参考までに見てみよう。
マイカーとマイホームの関係
ある調査によると,これはあくまでもある地域を対象にした調査なので,全国的なものかどうか解りかねるが,マイホームをすでに購入した人々がマイカーの購入についてどう考えているかとのアンケート調査の結果を見ると,すでに自家用車を持っている割合は17.7%,今は持っていないが今年中に買うと答えたものは10%,今は持っていないが将来買うとの答は 56.8%と最も高かった。また車は買わないという答えが15.5%であった。マイホームを買えるような人々はマイカーに対する関心も高いとの結果であった。 しかしながら中国ではまだマイホームを買える人口は極めて少ない。中国では一戸建住宅よりマンション形式の住宅が賃貸,分譲を含めて多い。分譲価格は地域によっては開きがあるが,上海では新築マンションは3LDK130m2当りだと17万元~40万元(700万円),最近は値上りしている。中国でも住宅購入の場合はローンが普通であるが,しかし新築のマンションを購入できる人々はごくわずかである。まだまだ住宅は高嶺の花なのだ。
自動車は一番安い車になると新車でも4万元(60万円)で買えるものが出てきている。上海ではサンタナMの新車は14~16万元ぐらいで買える。都市の住民はそれでも車より家を選ぶほうが多いと聞いている。しかし若者は家より車に関心が集まるという現象はどこの国も一緒である。
可処分所得は昇びたが収入格差も大きい
最近の都市部における収支状況を今年の第1四半期でみると,1ヶ月1人の総収入が平均で744元(約1万円強),このうち可処分所得は708元に達し,前年同期より16.1%も増加している。この744元は給与所得ではない。給与所得は527元で残りの217元に相当する収入は給与以外の収入である。中国人は給与所得では満足せず,常に給与以外の収入の道を求めている。特に技術や知的才能を持っている人間ほどその傾向が強い。従って意外と個人所得は実際と異なり高い人間もいる。都市部ではこのような傾向が多く見られる。しかし同じ都市部でも所得の高い層と低い層の格差は約8倍あり,ちょうど都市部と内陸部との収入格差に類似している。所得格差の傾向は今後も拡大していくものと思う。消費支出を見ると医療保険,交通,通信,衣服,娯楽,教育,文化,食品への支出増加がみられ都市部住民の支出は所得の高い層に支えられて,文化,娯楽,食品といった都市型現象の拡大が連がっている。上海等はその代表といえよう。衣,食,娯楽に関する消費は若者向けが目立ち始めていることはアジアのどこの都市にも共通したものとなっている。北京,上海でスターバックス(コーヒー店)が店舗数を増やしており,ファーストフード店が増加していることは所得の向上と,食文化までも変えていく時代の変化が中国といえども逆らえない現象なのかもしれない。
最低生活保障額,北京290元,上海280元
最近全国的に都市部では最低生活保障金が引き上げられている。都市部では物価水準が上昇し,生活必需品も高くなっており,住民の生活費も苦しくなってきている。このような状況はリストラされた人々には生活環境の悪化につながっている。そこで政府は各都市部での最低生活の保障金を上げる政策をとっている。これを見ると,1ヶ月の最低生活保障金の最高は深セン(広東省)の344元,アモイ(福建省)315元であり,最低は南昌(江西省)の143元となっている。北京は290元で,上海の場合は280元であるが,可処分所得は北京年間10,350元,上海は11,718元であるから,南昌の可処分所得が5,104元と比較すると上海人の方が恵まれていることがわかる。しかし,そう単純に言えるかどうか上海より江西省の南昌のほうが物価は安いと思われるから,生活内容では上海人の方が苦しいこともあり得えるだろう。それにしても今,北京でも上海でも一人の人間が1ヶ月280元~290元で生活できるものだろうか。上海ではとても生活はできないと言う。
コンビニエンスストアーは大人気
上海はコンビニの数が最も多く,コンビニが初めて登場したのは1993年であったが,上海人の所得向上と,とれに伴う購買力の増加。そして手軽く必需品が手に入って安く便利なことから爆発的な人気が出たからである。ローソンを始め,聯華,好徳,可的等大手のコンビニ店が1999年以降は急速に増えてきた。現在2~3日に1店の割合で店舗数が増加しているといわれているが,その数は1800店を超えたといわれている。上海は人口の割合から見て,コンビニの数は3000店が適当だと言われているが,この分でいくと3000店に達するのは真近かであろう。そこで北京はコンビニ市場としてまだ未開の段階(現在100店)と言われており,コンビニの商圏人口は3000~4000人とするある試算にもとずけば,北京は2000店まで増やせるという。
上海がコンビニ数では限界に近づきつつある状況を考えて,さらなる展開を北京を新しい戦場として各コンビニチェーンが選んだ。今後,熾烈な戦いが行われるだろう。
(財)日中経済協会上海事務所連絡先:
中華人民共和国上海市延安西路2201号 上海国際貿易中心大厦2001号
電話:86-21-62701647 FAX:86-21-62752211
(筆者は1994年7月~1997年7月までジェトロ鹿児島貿易情報センター所長として勤務)
海外生活雑感
海外生活雑感
香港在住 サン・サン・トロア オーナーシェフ 宮迫 征弘
ごはんたべた?
「ごはんたべた?」これは毎朝スタッフと交わす最初の言葉です。そしてこれが”あいさつ”なのです。ここ香港では毎朝よく聞かれる言葉です。近頃になってこれは親しい人と交わすあいさつなのだということが分かりました。
鹿児島の皆様に向けて,このあいさつで私の文章をはじめたいと思います。
サン サン トロア
私は2000年の1月に香港でレストランをオープンさせました。店の名前は”サン サン トロワ”といい,これは数字の3,3,3を中国語(広東語),日本語,フランス語で発音したもので,ひとつの枠にとらわれないといった意味での”なんでも屋”を目指して名付けました。現在サン サン トロワを営業して2年と6ケ月になります。
香港経済も明日が見えにくい情況の中,なぜかレストランがこの頃たくさん新たにオープンし,オシャレな店が多くなりました。私の店は50席足らずですが,近頃オープンする店の中には客席が150席~250席ある大きな店もあり,50席でも連日お客様でいっぱいにするのは難しいと思うのに,ほとんどの店が日本人の料理長1人と香港人数名で営業している状態で,皆,現地スタッフとのチームワークと営業努力を目指してがんばっているな,と痛感しています。
日本からの食材(肉,野菜,鮮魚)は週に4回取り寄せる事ができます。月曜日に九州の福岡から,後の3回は東京築地市場から入ります。今の所,鹿児島からコンスタントにまとめて食材を取り寄せることはありませんが,私の店では「黒ブタ」を 扱っています。鹿児島牛も入荷していますが,今は香港政府の方針でなかなか入手することができません。鹿児島の新鮮な野菜などが使えるとメニューが楽しくなるのですが!!
市場の楽しみ
香港では市場のことを”ガイシ”(街市)と呼びます。市場にある店は,野菜,鮮魚,冷凍肉,豆腐,漬物,漢方薬,フルーツ,川魚などそれぞれが専門店として営業しています。その種類の多さには日本から来る友人の料理人もビックリするほどです。
肉類だと牛肉は中国からの輸入肉で一頭の牛を店内で切り分けて,すべての部分を売っています。サーロイン,ヒレ肉,ブリスケ,その横には骨やしっぽが売られているといった具合です。豚肉も同じく一頭のまま毎朝店先につき,それを切り分けて売っています。大きな中華包丁1本ですべてを切りわけます。
鶏肉の場合は注文に応じて生きた鶏をさばいています。中でも胡麻鶏(チーマーカイ)という種類は人気があります。しかしここ数年香港では鶏のウイルスの問題があるので,私の店ではフランスのブレス産の鶏を輸入しています。
香港にはそのような市場がたくさんあり,行くとおもしろい物に出会うことができます。先日は中国の四川省,山東省の梅が市場の中の1件の店だけにありました。青梅を塩漬けと梅酒にしました。他にもキビナゴなどの珍しい物もありました。
市場ではすべて交渉次第でディスカウントできますが,香港の言葉(広東語)だけしか通じないので最初は無理のようです。
“明るい人”は言葉を覚えるのが早い!?
香港の人達は声が大きく話し好きです。電車の中でもバスの中でもとにかく話し声が聞こえてきます。初めの頃は何を話しているのかわからないので,会話の内容が分かりませんが,だんだんとわかってくると,かなりブラックジョークが混ざっています。
話の好きな人はどんどん広東語が上達していきます。同じような発音でも意味が違うので会話をしてみないと先生に習った発音では通じない事が多く,その時は早口で言うようにしています。早口で言うと以外と通じます。はずかしがらずに明るく笑顔で話すと友達も増えてきます。
日本語で話すときと現地の言葉で話すときは性格まで変わってしまうような気がします。言葉は文化だといいますが,性格まで変えるのかもしれません。私は英語,マレーシア語,北京語,広東語といった色々な言葉の中で18年間生活してきました。今は週に一度,2時間ずつフランス語を習っています。四十の手習いと言いますが,四十の言葉習いです。先生は60歳のフランス人女性です。年に4回あるグルメパーティでは,参加者の方々は初め英語で話していますが,話が弾むころにはフランス語に変わっていきます。日常は広東語の生活をしている人達も出身地は広州,福建省,上海と様々です。同じ出身地の者同士が,親しみを込めて出身地の言葉で話すときには特に楽しそうに見えます。私にとっては鹿児島の言葉で話すときです。海外で仕事をする時,やはり言葉が1番難しい問題ですが,香港や中国の北京の場合には漢字を書くとなんとかなるようです。ただ、香港の漢字は日本とかなり近いのですが、北京で使われる新しい字体の漢字は私にはわかりません。しかし、北京の友人には日本の漢字がよくわかるようです。
シンガポールの思い出
教育の国シンガポール。シンガポールの人達は日本の車が大好きです。シンガポールの有名校”ラッフルズスクール”では、生徒のほとんどがメガネを着用しています。そして皆よく勉強します。
6年間のシャングリラホテルでの仕事の中で印象に残っているのは,シンガポールの前首相やマレーシアの首相,アラブの王様の食事を用意したときの事です。その場合,特別室の調理場で料理します。ボディーチェックを入り口で受け,20名ほどのボディーガードやホテルのマネージャー数人が見守る中,料理をしましたが,周りの人達のピリピリとしたムードが伝わってきました。食後首相が調理場までおいでになり,日本語で「ごちそうさまでした」という言葉を頂き,少しの会話をすることもありました。現在香港に見えるときも数回料理を作らせて頂いております。ボディーチェックの時にはいつも手に40センチメートル位のナイフを3本ほど持っているのですが,体は調べられますがナイフは料理人と言うことで許してもらえるようです。
マレーシアの思い出
私は以前はホテルのレストランでも仕事をしていました。マレーシアのクアラルンプール(K.L)での出来事ですが,レストランのオープン当日に調理場にスタッフがいないと思ったら,全員イスラム教の人達なので”お祈り”の時間だったらしく,階段の上の方でお祈りをしていたということがありました。
友人の家に行くとリビング中央に丸い”ゴザ”が敷かれ,家族全員であぐらをかいて食事をしていました。右手の指を使って食べる料理はおいしいものでした。今は日ごろはスプーンとフォークで食べるのが主流だそうですが,特別の日にはやはり指で食べるということです。
マレーシアの毎日の食事はシンプルに鶏のカレーや羊のカレー,そして野菜とご飯,酢漬けの胡瓜,そしてチリ(生の唐辛子)ですが,祝い事の時には品数が多く,カレー風味の煮込み料理や鶏,魚,羊のスパイスのきいた料理,豆腐の揚げた物にココナツミルク風味の椰子,マレーシア風のフライライス,それにデザートも種類が多く,バナナの天ぷらやゼリーのケーキ,そしてフルーツにドリアンと高級な食材が並んでいます。それらをゆっくりとあぐらを組んでいただきます。子供達はあぐらの上に乗ってきます。マレーシアの人々は子供を大切にします。また人情が深く,帰るときなどは食事のお礼と健康を祈って家のおばあちゃんに必ず挨拶して帰ります。彼らを見ているとどことなく鹿児島を思い出しました。
北京の思い出
北京の5月は楊(柳の一種。昔は並木に使われたとか)の花が雪のようです。街には色々な屋台が並び,白衣を着けて白い帽子をかぶった料理人のもとに,夕方ともなるとたくさんのお客が集まります。北京の女の子だけがするそうですが,二人の若い娘さんが1つのアイスクリームを歩きながらなめている光景にはほのぼのとしたものがありました。
香港人の気質
香港人は家族愛が強いと思われます。若い男性が”おじいちゃん””おばあちゃん”の手を引いて食事に行きます。私の店の従業員からも「日曜日は母のバースデイだから休みたい」というリクエストがきます。ほとんどの家では子供達が毎月給与の半分をお母さんに渡しますが結婚後は少しでもいいそうです。
今年に入り多くのホテルでリストラがありました。香港ではサービス業,特にレストランで仕事をする人が多く,数人の知人が仕事先をさがしていますが,なかなか見つかりません。香港ではサービスの水準の低さが目立ちますが,経済的に自立するにはあまり”ニコニコ”はできなかったのだろうと考えています。
最後に
鹿児島の空気,水,野菜,肉はとにかくおいしい。そして香港の人達が今,鹿児島に行くようになっている事はお気付きですか?香港の人は温泉が好きです。しかし大きい風呂に知らない人と一緒に入るのは嫌がります。やはりプライベートの温泉が好まれます。
香港で生活する上で不便な事として,水の問題があります。香港の生水はそのまま飲めない為,水は買って飲んでいます。香港においでの時は生水に気を付けてください。
<レストラン サン サン トロア>
◇所 在 地:4/F.,CITIC Tower, 1 Tim Mei Avenue, Central, Hong Kong
TEL 852-2104-5333 FAX 852-2104-5788
◇営業時間:ランチタイム 12:00~ 2:30PM
ハッピーアワー 5:00~ 7:00PM
ディナータイム 6:30~10:30PM
※ハッピーアワーは1杯分の料金で同じ飲み物がもう1杯ついてきます
◇サンサントロワ のオリジナル料理
・鮪のタルタルキャビアぞえ トマトと醤油のソース
・鯛の白トリフカルパッチョ スペイン産のオリーブオイル風味
・ピリ辛そうめん 北京のそうめんを使ったペペロッチーニ風
筆者紹介:鹿児島県末吉町出身。娘二人,息子一人,妻の5人家族。1984年に日本を離れ,途中1年間東京に戻るが現在香港で海外生活進行中。
中小産業機械メーカーの上海進出
中小産業機械メーカーの上海進出
上海四国食品包装機械有限公司 総経理 中摩 正澄
会社概要
<日本:四国化工機株式会社>
弊社の出資会社の一つである四国化工機株式会社は、徳島県に本社工場を置き、一般的には名前の余り知られていない液体食品充填機メーカーであるが、その機械を使用して造られた商品では、大変に皆様方にお世話になっている。
スーパーの食品売り場に必ず置いてある紙パック入りの牛乳、ジュース、また、プラスチック或いは紙カップ入りのヨーグルト、プリン、ゼリー等の充填機械、更に、お父さん方には欠かせないお酒、焼酎等の充填機も製作・販売している。
特に、牛乳・ジュース用紙パック充填機は、乳製品の発祥元とも言える欧州、北米への輸出を販売代理店を通じて行っており、機械製造量の30%強を占めている。
また、食品機械をユーザーの立場で完成させていくという目的で設立した豆腐製造事業が昨今軌道に乗り、徳島の鳴門工場、阿南工場、静岡の御殿場工場、淡路工場を有し、「さとの雪」ブランドで関東以西の市場へ、日産40数万個を送り出している。
<上海四国食品包装機械有限公司>
食品充填機の市場規模は余り大きなものでない中で、活路を先進国での販売に絞って、それが安定してきた矢先、1992年当時円高が極端に進み、1$が90円を切ったために、円建て販売を行っていたこともあり、機械価格が高くなり過ぎて売れないということが危惧された。
そこで、東欧、東南アジア、アメリカ等からの部品調達を検討して見たが、実際に手始めて見ると、品質・納期の問題が種々発生する。
それでは、自前で海外での部品製作を行い、機械コストを下げようと言うのが海外進出の発端であり、従来、機械の性能・機能は高級であるが、高すぎて販売が停滞していた中国・東南アジア、南アメリカ等への市場拡大も睨んで、工場建設を進めた。
工場建設地については、中国を中心に東南アジアに絞って、聞き取りを中心に調査を進めてきたが、今後の発展性、日本とのアクセス、技術者採用、協力工場群の育成の容易さ、その他を勘案して、最終的に上海の西南にある松江に決定した。
工場全景
その後の経緯を略述する。
1995年11月 営業許可を受領。
1996年4月1日 レンタル工場で営業開始。併せて工場建設を進める。
弊社のような受注生産形態の企業の場合、技術者の育成が出来ないと操業が不可能との判断でレンタル工場を借用し、育成スピードを速めるべく途中で方針変更した。
レンタル工場での主体業務は、日本四国化工機からの部品受注・納品で、その間選抜技術者の加工技術教育、組立教育、設計教育等を日本へ派遣して実施した。
1998年 5月 新工場への移転。
レンタル工場からの設備移転と新規設備設備を導入し、いよいよ初期計画に沿った操業体制となる。
因みに、日本への部品供給、将来の機械の海外輸出も見据えて、NC工作機械は、すべて日本製を輸入した。
2年間の習熟期間を経て、部品加工に関しては、日本の品質受け入れ基準を満たすことが出来る様になったとの判断で、日本より技術者も招聘し、機械組立を開始する。
機械工場
1998年10月 創業式典を行う。
中国市場における知名度のアップを狙い、第一陣の組立機械の運転展示を行い、最新鋭工作機械による部品製作を客先に認知して貰うことを意図して、大々的に創業式典を行う。
併せて、中国国内営業をスタートさせる。
更に、中国国内での要求に合う機械を製作するために、日本の設計図の大幅な設計変更が必要として、設計要員の充実と中国市場向け充填機の設計を開始させる。
組立工場
2002年現在 中国市場だけを考慮すれば、特に紙パック入りの牛乳に関しては、紙容器(カートンブランクスという)メーカーがカートンを売るために、アメリカ、ヨーロッパからの輸入機で市場を作って来ており、2年ほど進出が遅れた感はあるが、弊社の海外での実績を踏まえ、知名度が上がって来るに従い、現地生産でのアフター面での優位さも有って、この3年の間に、50数台の機械を納入できた。
従来、7年ほど前は、中国の牛乳生産は、日本で北海道が発祥の地である様に、北の黒龍江省で中国全生産量の1/3が生産されており、一般的にはそれが粉乳に加工され、消費地の近くで水枕状のポリパックに詰められて、消費者は、これを買って、一度鍋にあけ、沸かしてから飲むという風になっていた。いわゆる、還元乳である。
それが、都市部におけるチルド(冷蔵)流通の発展と共に、生乳を紙パックに充填したものは、冷蔵庫に入れておけばそのまま飲める新鮮牛乳と認識され、ここ数年毎年25%程度の伸びを示している。
因みに、中国の人の一人当たり牛乳消費量は、日本人の1/5、欧米人の1/10である。
中国政府の奨励もあり、牛乳の生産地も、沿海部を中心に南下しつつあり、都市消費地を控えた農村部に急激に増えてきており、まだまだ我々のお役に立てる要素は大きい。
機械納入実績を示す地図(赤点が納入場所;日本へも2台納入)
自己紹介
以上紹介した様に、会社そのものは、特に、鹿児島と密接な関係にあるとは言えない。
強いて挙げれば、鹿児島協同乳業、川内酪農さん、薩摩酒造、本坊酒造さんにお世話になっている。
私個人的に、重富の田舎で生まれ(実際は北朝鮮の平壌)育ち、昭和34年玉竜高校卒業、昭和38年鹿大工学部機械工学科卒業と同時に大阪の中小企業に入社、そこが閉鎖になった関係で、ヤクルトがガラス瓶からプラスチックワンウェイ容器に切り替えするとのことで、この充填ラインを設計するために四国化工機に入社し、時たま鹿児島と接点はあるものの、ほとんど鹿児島弁も話せなくなっていたが、上海に駐在し、ひょんなことで鹿児島県人会に参画させてもらい、忘れていたものを思い出しつつあるところである。
上海に来て見て
私どもの事業形態は、非常に煩雑で、中国に進出することの難しい形態である。加工製作される部品は、全品形状、材質が違うために、加工の仕方をマニュアル化し、その通りにやって貰えばできるという業種とは違う。そこには、東京、大阪の町工場に見られるような職人技に通じる技術者の個人技量の養成が必要になる。
このような事情を踏まえながら、中国に工場設立するに当たってのアドバイスとして私が言えることは、まず、中国は色々な面で発展整備中であり、日本の様に色々なものが揃っており、整備されている国ではなく、進出される際には日本では考えられないようなことを当地の事情に合わせて解決していかなければならないという認識を持って進出される必要があるということであろう。
私どもが中国進出するに当たっても、中国の人たちは、日本人と色々な面で考え方が違うと聞いて来た。確かに違う面が多い。然し、こちらへ来て見ると、違うのが当たり前だと思う。文化、歴史が違う。特に、ほとんど単一民族で侵略された経験の無いと言ってよい日本人の方が、世界の中では異色の考え方をする民族であると考えるようになった。違いがあって当然、これを置かれた立場で解決して行くしかないとの認識も必要だ。
更に、誰もがおっしゃることかも知れないが、成功させるためには、進出の目的、方向或いは方針等を如何に確かなものとして進出するかに掛かっているのではないだろうか。
また、進出した後のことであるが、よく、中国事情が分からずに、日本本社が間違った指示を出すことがあるようだ。中国進出の方針の確立は、中国事情を詳細に掌握することから始まる。
また、日本に居ると、決まった部署で、決まった仕事をしていれば済むのだが、当地で会社を立ち上げるとなると、何から何までやらなくてはならない。日本で言う小使いの仕事までやらねばならない。
一方、当地へ参り感謝している点は、日本だと、生産関連の仕事が長かった関係で、社外でお付き合いする人は、生産に関連する人に限られていたのが、当地では日本人だと日本での職位、年齢など関係無く、ちょっとしたことでお付き合いが始まる。更に、色々な仕事をこなして行かなくてはならないだけに、色々な業種の方々とお付き合いせざるを得なくなる。
更には、中国の方々とのお付き合いがなければ、如何ともし難い。ここで、上海駐在の先達が残された、上海日本人会で言われている「中国の人とお付き合いを深めるには、3『ま』でなければいけない。」即ち、「まじめに、まめで、がまん強く」しなければいけないというのがある。また、言わずもがなとは思うが、中国に進出する限り、中国のお役にも立つことを忘れてはなるまい。いずれにしても、日本で生活していた時と考え方も色々な面で変わってきた。
私が中国に係わるようになって9年目、上海に駐在するようになって6年目に入るが、その間の中国、特に上海の発展には目を見張らせられるものがある。色々な面で、まだ、日本に比べると20年ほど遅れている部分もあるが、その発展振りからして、日本との差が急激に縮まって行くことは間違いない。特に、国、政府関連の行う事業のスピードは、日本の何倍も速い。
日本では、中国が世界の工場化し、いずれ日本の仕事が空洞化するということが言われて久しいが、弊社内では、私はこれを乗り切るために、本社と上海工場の技術の融合を図るべしと説いている。それにより、日本の仕事を作りつつ、世界のマーケットで競合に負けないものを生み出して行く。この様な方法しか、今後日本が立ち行くすべは無いのではないか。
企業においては、この様なことを見出しつつ、国体の在り方も変えて行かないと、世界の中で日本が立ち行かなくなる。まさに変革すべき時期である。それも中国の人たちの向上心、中国の変革の状況をつぶさに掌握して、日本の在り方を考える必要があると思う。
今後、もっともっと中国のことを知るべしである。上海進出企業で、弊社が特殊な企業形態である為か、末吉町の商工会からもお見えになったし、色々な所から工場見学に見える。出来る限り、これらにも応えて、何らかの手助けになればと思っている。
特に、鹿児島から見えるとなると、何となく気持ちが湧き立つ。ご希望があれば、本協会を通じて、申し出て頂いたらと思う。
<筆者連絡先>上海四国食品包装機械有限公司
上海・松江洞涇路18号 〒201600
TEL:86-21-57741740 FAX:86-21-57741739