中小産業機械メーカーの上海進出
上海四国食品包装機械有限公司 総経理 中摩 正澄
会社概要
<日本:四国化工機株式会社>
弊社の出資会社の一つである四国化工機株式会社は、徳島県に本社工場を置き、一般的には名前の余り知られていない液体食品充填機メーカーであるが、その機械を使用して造られた商品では、大変に皆様方にお世話になっている。
スーパーの食品売り場に必ず置いてある紙パック入りの牛乳、ジュース、また、プラスチック或いは紙カップ入りのヨーグルト、プリン、ゼリー等の充填機械、更に、お父さん方には欠かせないお酒、焼酎等の充填機も製作・販売している。
特に、牛乳・ジュース用紙パック充填機は、乳製品の発祥元とも言える欧州、北米への輸出を販売代理店を通じて行っており、機械製造量の30%強を占めている。
また、食品機械をユーザーの立場で完成させていくという目的で設立した豆腐製造事業が昨今軌道に乗り、徳島の鳴門工場、阿南工場、静岡の御殿場工場、淡路工場を有し、「さとの雪」ブランドで関東以西の市場へ、日産40数万個を送り出している。
<上海四国食品包装機械有限公司>
食品充填機の市場規模は余り大きなものでない中で、活路を先進国での販売に絞って、それが安定してきた矢先、1992年当時円高が極端に進み、1$が90円を切ったために、円建て販売を行っていたこともあり、機械価格が高くなり過ぎて売れないということが危惧された。
そこで、東欧、東南アジア、アメリカ等からの部品調達を検討して見たが、実際に手始めて見ると、品質・納期の問題が種々発生する。
それでは、自前で海外での部品製作を行い、機械コストを下げようと言うのが海外進出の発端であり、従来、機械の性能・機能は高級であるが、高すぎて販売が停滞していた中国・東南アジア、南アメリカ等への市場拡大も睨んで、工場建設を進めた。
工場建設地については、中国を中心に東南アジアに絞って、聞き取りを中心に調査を進めてきたが、今後の発展性、日本とのアクセス、技術者採用、協力工場群の育成の容易さ、その他を勘案して、最終的に上海の西南にある松江に決定した。
工場全景
その後の経緯を略述する。
1995年11月 営業許可を受領。
1996年4月1日 レンタル工場で営業開始。併せて工場建設を進める。
弊社のような受注生産形態の企業の場合、技術者の育成が出来ないと操業が不可能との判断でレンタル工場を借用し、育成スピードを速めるべく途中で方針変更した。
レンタル工場での主体業務は、日本四国化工機からの部品受注・納品で、その間選抜技術者の加工技術教育、組立教育、設計教育等を日本へ派遣して実施した。
1998年 5月 新工場への移転。
レンタル工場からの設備移転と新規設備設備を導入し、いよいよ初期計画に沿った操業体制となる。
因みに、日本への部品供給、将来の機械の海外輸出も見据えて、NC工作機械は、すべて日本製を輸入した。
2年間の習熟期間を経て、部品加工に関しては、日本の品質受け入れ基準を満たすことが出来る様になったとの判断で、日本より技術者も招聘し、機械組立を開始する。
機械工場
1998年10月 創業式典を行う。
中国市場における知名度のアップを狙い、第一陣の組立機械の運転展示を行い、最新鋭工作機械による部品製作を客先に認知して貰うことを意図して、大々的に創業式典を行う。
併せて、中国国内営業をスタートさせる。
更に、中国国内での要求に合う機械を製作するために、日本の設計図の大幅な設計変更が必要として、設計要員の充実と中国市場向け充填機の設計を開始させる。
組立工場
2002年現在 中国市場だけを考慮すれば、特に紙パック入りの牛乳に関しては、紙容器(カートンブランクスという)メーカーがカートンを売るために、アメリカ、ヨーロッパからの輸入機で市場を作って来ており、2年ほど進出が遅れた感はあるが、弊社の海外での実績を踏まえ、知名度が上がって来るに従い、現地生産でのアフター面での優位さも有って、この3年の間に、50数台の機械を納入できた。
従来、7年ほど前は、中国の牛乳生産は、日本で北海道が発祥の地である様に、北の黒龍江省で中国全生産量の1/3が生産されており、一般的にはそれが粉乳に加工され、消費地の近くで水枕状のポリパックに詰められて、消費者は、これを買って、一度鍋にあけ、沸かしてから飲むという風になっていた。いわゆる、還元乳である。
それが、都市部におけるチルド(冷蔵)流通の発展と共に、生乳を紙パックに充填したものは、冷蔵庫に入れておけばそのまま飲める新鮮牛乳と認識され、ここ数年毎年25%程度の伸びを示している。
因みに、中国の人の一人当たり牛乳消費量は、日本人の1/5、欧米人の1/10である。
中国政府の奨励もあり、牛乳の生産地も、沿海部を中心に南下しつつあり、都市消費地を控えた農村部に急激に増えてきており、まだまだ我々のお役に立てる要素は大きい。
機械納入実績を示す地図(赤点が納入場所;日本へも2台納入)
自己紹介
以上紹介した様に、会社そのものは、特に、鹿児島と密接な関係にあるとは言えない。
強いて挙げれば、鹿児島協同乳業、川内酪農さん、薩摩酒造、本坊酒造さんにお世話になっている。
私個人的に、重富の田舎で生まれ(実際は北朝鮮の平壌)育ち、昭和34年玉竜高校卒業、昭和38年鹿大工学部機械工学科卒業と同時に大阪の中小企業に入社、そこが閉鎖になった関係で、ヤクルトがガラス瓶からプラスチックワンウェイ容器に切り替えするとのことで、この充填ラインを設計するために四国化工機に入社し、時たま鹿児島と接点はあるものの、ほとんど鹿児島弁も話せなくなっていたが、上海に駐在し、ひょんなことで鹿児島県人会に参画させてもらい、忘れていたものを思い出しつつあるところである。
上海に来て見て
私どもの事業形態は、非常に煩雑で、中国に進出することの難しい形態である。加工製作される部品は、全品形状、材質が違うために、加工の仕方をマニュアル化し、その通りにやって貰えばできるという業種とは違う。そこには、東京、大阪の町工場に見られるような職人技に通じる技術者の個人技量の養成が必要になる。
このような事情を踏まえながら、中国に工場設立するに当たってのアドバイスとして私が言えることは、まず、中国は色々な面で発展整備中であり、日本の様に色々なものが揃っており、整備されている国ではなく、進出される際には日本では考えられないようなことを当地の事情に合わせて解決していかなければならないという認識を持って進出される必要があるということであろう。
私どもが中国進出するに当たっても、中国の人たちは、日本人と色々な面で考え方が違うと聞いて来た。確かに違う面が多い。然し、こちらへ来て見ると、違うのが当たり前だと思う。文化、歴史が違う。特に、ほとんど単一民族で侵略された経験の無いと言ってよい日本人の方が、世界の中では異色の考え方をする民族であると考えるようになった。違いがあって当然、これを置かれた立場で解決して行くしかないとの認識も必要だ。
更に、誰もがおっしゃることかも知れないが、成功させるためには、進出の目的、方向或いは方針等を如何に確かなものとして進出するかに掛かっているのではないだろうか。
また、進出した後のことであるが、よく、中国事情が分からずに、日本本社が間違った指示を出すことがあるようだ。中国進出の方針の確立は、中国事情を詳細に掌握することから始まる。
また、日本に居ると、決まった部署で、決まった仕事をしていれば済むのだが、当地で会社を立ち上げるとなると、何から何までやらなくてはならない。日本で言う小使いの仕事までやらねばならない。
一方、当地へ参り感謝している点は、日本だと、生産関連の仕事が長かった関係で、社外でお付き合いする人は、生産に関連する人に限られていたのが、当地では日本人だと日本での職位、年齢など関係無く、ちょっとしたことでお付き合いが始まる。更に、色々な仕事をこなして行かなくてはならないだけに、色々な業種の方々とお付き合いせざるを得なくなる。
更には、中国の方々とのお付き合いがなければ、如何ともし難い。ここで、上海駐在の先達が残された、上海日本人会で言われている「中国の人とお付き合いを深めるには、3『ま』でなければいけない。」即ち、「まじめに、まめで、がまん強く」しなければいけないというのがある。また、言わずもがなとは思うが、中国に進出する限り、中国のお役にも立つことを忘れてはなるまい。いずれにしても、日本で生活していた時と考え方も色々な面で変わってきた。
私が中国に係わるようになって9年目、上海に駐在するようになって6年目に入るが、その間の中国、特に上海の発展には目を見張らせられるものがある。色々な面で、まだ、日本に比べると20年ほど遅れている部分もあるが、その発展振りからして、日本との差が急激に縮まって行くことは間違いない。特に、国、政府関連の行う事業のスピードは、日本の何倍も速い。
日本では、中国が世界の工場化し、いずれ日本の仕事が空洞化するということが言われて久しいが、弊社内では、私はこれを乗り切るために、本社と上海工場の技術の融合を図るべしと説いている。それにより、日本の仕事を作りつつ、世界のマーケットで競合に負けないものを生み出して行く。この様な方法しか、今後日本が立ち行くすべは無いのではないか。
企業においては、この様なことを見出しつつ、国体の在り方も変えて行かないと、世界の中で日本が立ち行かなくなる。まさに変革すべき時期である。それも中国の人たちの向上心、中国の変革の状況をつぶさに掌握して、日本の在り方を考える必要があると思う。
今後、もっともっと中国のことを知るべしである。上海進出企業で、弊社が特殊な企業形態である為か、末吉町の商工会からもお見えになったし、色々な所から工場見学に見える。出来る限り、これらにも応えて、何らかの手助けになればと思っている。
特に、鹿児島から見えるとなると、何となく気持ちが湧き立つ。ご希望があれば、本協会を通じて、申し出て頂いたらと思う。
<筆者連絡先>上海四国食品包装機械有限公司
上海・松江洞涇路18号 〒201600
TEL:86-21-57741740 FAX:86-21-57741739